作者インタビュー
左右とも)ハスラー・アキラ/張 由紀夫 《Red String》 2010年
ーアーティストになったきっかけ
この展覧会に出品することになったのは、僕にとってとてもタイムリーなことです。昨年春に新型インフルエンザが流行しましたが、この出来事は、僕に1990年代のエイズパニックを思い起こさせました。感染している人を洗い出して隔離しようとするという社会の動きは、20年前と何も変わらなかった。日本人は何も学んでこなかったのかと、強い憤りを感じました。
僕がHIVの活動を始めるきっかけとなったのは、学生時代にダムタイプのパフォーマーであった古橋悌二さんたちとの出会いです。僕にとって古橋さんの存在はものすごく眩しい存在で、ああいうアーティストになりたいと思えた人でした。
ある日、彼は自身がHIVに感染していることを周囲の親しい人たちに向けてカミングアウトする手紙を書いたのです。自分はアーティストとしてHIVやセクシュアリティ、セックスや人間の生と死と対峙しながら、これからも活動をおこなっていきたいと。よかったら、皆さんも一緒にやってくれませんか、というような内容の手紙で、ぼくは働いていた画廊のディレクターを通して内容を教えてもらいました。最初はショックで落ち込んでいたものの、次第に、自分には何が出来るんだろうと考えるようになりました。
当時、世界のアーティストたちは、HIVのほかにもホームレス問題や、国境問題、戦争と平和や貧困など、様々な社会問題に対して活動を起こしたり、作品を発表したりしていました。そうした動きにも触発を受けましたね。アートという能力を持った人々が、目に見えないものをヴィジュアルで表現することの影響力は非常に大きなものだと思いました。
でも、社会問題をアートで伝えるという波が盛り上がりを見せる一方で、僕自身は次第に疑問を感じるようになりました。白いキューブ(白い壁の展示室)の中で作品を展示して、果たして何のためになるのだろう? 誰の命も救えるわけじゃない…と。やがて、その思いは、僕を机上のものでなく、問題の現状を把握して支援へと繋げる、アクティヴィスト(活動家)へと突き動かしたのです。
ーアクティヴィストとして
03年、厚生労働省のエイズ対策研究事業の一環で、Rainbow RingのスタッフとともにHIVの情報センター<akta>を設立後、最初におこなったのがコンドームのデリバリーボーイズプロジェクト、通称“デリヘル”です。セックスという営みは、食べる事や寝る事と同様のもの。ならば、その中で使われるツール(コンドーム)をもっと日常の中に溶け込ませていくべきだと思ったんです。パッケージをイラストレーターや写真家の作品でデザインして飲食店などに置かせてもらいました。
さらに、HIV陽性者の支援団体「ぷれいす東京」とRainbow Ringが共同の呼びかけ団体として<Living Together計画>というプロジェクトを立ち上げて、ライヴやラジオ番組などから多くの人々にメッセージを発信しています。
この地球には様々な人間が生きていますよね。男性もいれば女性もいるし、ゲイもいれば異性愛者もいる。HIV感染者もいれば、感染していない人もいる。職業も性癖も立場もみんな違うけれど、ぼくたちはもうすでに一緒に生きているんです。差別や隔離などをしても、人と人とのふれあいを絶つことはできません。すべての現状を受け入れた上で、HIVは僕たち自身の問題なんだということを伝えたいのです。<Living Together>というと、とても耳障りのいい言葉ですが、いま起こっている問題と真摯に向き合い、すべてを受け入れ、そして、より良い状況にするためにどうしたらいいのかを考えるのは、実はとても難しいことだと思います。
ー出品作品について
アクティヴィストとしてメッセージを伝えるには時間がかかります。様々な異なったベースラインに立つ人たちと信頼関係を築いていかなければならない。行政やメディアを相手にすることも大切で、かつ簡単ではない仕事になります。でも作品は自分の思いをそのまま形に表現できます。僕はアクティヴィストの活動をしていくうちに、アートだからこそ、できることがあるんじゃないかと、新しい気持ちでアーティストとして作品を作れるようになりました。
今回の展示には、オブジェと映像作品を出品します。どちらもテーマは「人と人とのふれあい」です。恋人、親子、友人、会社の同僚・・・親しい間柄にはいろいろありますが、僕は、本当の意味での親しい間柄って、たとえどちらかがなんらかのウィルスに感染していても血の交換をもいとわないような、そんな関係をいうんじゃないかと思います。これは亡くなった古橋さんの言葉なんですが。日常生活ではわかりにくいかもしれないけれど、添い寝をしたり、料理をしたり、いろいろな時につながっていく“絆”を、赤い糸で表現しました。
オブジェの制作はすごく楽しかった!(笑)アクティヴィストとアーティスト、僕にとってはどちらも大切な活動だと思っています。
ー今回の展覧会について
作家の杉浦日向子さんがアーティストを称して、「永遠に母親のお腹の中から世界に向かって腹を蹴り続ける胎児」とおっしゃっていましたが、今回の展覧会はまさにそんな胎児たちが集結した展覧会だと思います。
特に、AAブロンソンの作品には涙しました。これは、ゲイカップルとレズビアンカップルの間に生まれた子どもを抱いているんです。AAは80年代盛んに活動していたジェネラル・アイディアのメンバーでした。ほかのメンバーが次々とエイズで亡くなり、その後、一時期は活動ができなくなったり、死をテーマに作品を作っていたのですが、この作品がすばらしいのは、彼自身が確かに命をつないでいる、ということです。僕は、どんな形でも、人が命を前へ前へとつなげていくことは、生きていく中でとても重要なことだと思うんです。そうでないと、人類は終わってしまうかもしれない。
ヴォイナロヴィッチの≪転げ落ちるバッファロー≫は、アメリカ先住民族の猟のために追われて、次々と崖から落ちるバッファローをとらえたものです。僕たちは、エイズをはじめとしたさまざまな理由で追いつめられ、次々と自ら命を絶たざるを得ない問題と向き合っている。この展覧会に参加しているアーティストたちは、バッファローたちに「こっちに来ちゃだめだよ!」と、崖っぷちで背を向けて両手をひろげて止めているようなバッファローだと思います。人はいつか必ず死ぬものだけれど、いつか死ぬんだとしても、「ここから先は崖があるぞ!」と教えてくれる人が世界には必要です。「落ちないで」って泣きながら願う人も必要。ただ、落ちていくのを傍観して、あきらめているいるだけではだめなんじゃないか。
僕は、この展覧会を観る人たち自身のこととしてとらえてほしいと思います。世界で起こっている問題や、どんな小さなことでも、それを他人事としてとらえるか、自分の事としてとらえるかによって、人は大きく変わると思う。崖を遠くから見ていた人たちが、崖の前で両手をひろげるきっかけになればと思います。
ハスラー・アキラ/張 由紀夫 東京都生まれ。京都市立芸術大学大学院絵画研究科修了。1993年よりHIV/AIDSをめぐる様々な活動を開始する。2000年よりハスラー・アキラの名前で作品を発表。コミュニティセンターaktaを運営するRainbow Ringのスタッフとして、HIV 陽性者や周囲の人々への活動を積極的に行っている。 <Living Together計画>ホームページ:http://www.living-together.net/ |
AA ブロンソン 《アンナとマーク、2001年2月1日》 2001-02年
デヴィッド・ヴォイナロヴィッチ 《無題(転げ落ちるバッファロー)》1988-89年
Courtesy of the Estate of David Wojnarowicz and P.P.O.W Gallery, New York NY