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学芸員コラム


木村伊兵衛「那覇の市場」 1935年









1988年から15年にわたって続けられてきた当館のコレクションには、古今東西の優れた写真作品が23,000点以上収蔵されています。その特徴として、約70%が日本人による作品であるということがあげられます。これは幕末に写真術が渡来してから今日に至るまでの日本の写真の歴史と現在を体系的にたどることができるということでもあります。それと同時に、世界の写真史を理解するために海外の美術館に対しても誇りうる写真史上重要な欧米の作品も数多く収蔵しています。今回の連続4回にわたる写真展は写真が私たちの生活や思考にどのような役割を果たし、影響を与えてきたかという切り口で、東京都写真美術館がこれまで収集してきた作品の魅力をご紹介していきます。






平井 輝七 モード 1938年  中)福原 路草 はるな、天神峠 1939年
ベレニス・アボット ウォーター・フロント1938年


今からおよそ160年前、「記憶をもった鏡」と呼ばれ、人々に驚きを持って迎えられた写真は、記録やポートレートとして主に用いられていました。しかし、19世紀後半になると、アマチュア写真家たちを中心に写真を絵画と同じように芸術的な位置づけをしようとする動きが見られ始めました。絵画に表現の範を求めたピクトリアリズム(絵画主義)と呼ばれる動向です。かれらは写真を貼り合わせることに始まり、さらに視覚で捉えた現実をより理想化した形で表現するために、わざとピントをはずしたソフトフォーカスを多用し「絵画」のイメージを追求しました。初期の代表的な作品としてはヘンリー・ピーチ・ロビンソンが制作した合成印画が有名です。それまでの芸術写真に飽き足らなかったイギリスの王立写真協会のメンバーの中からは、やがて「真実、美、想像」を表す三つの環をシンボルとした「リンクト・リング」を結成し、この活動は世界中に広がりました。当時、日本でも欧米で展開したピクトリアリズム運動から大きな影響を受け、洋画だけではなく、日本画や版画の影響を受けた作品が流行しました。影響を受けた作品が流行しました。やがて、それまでの芸術写真家たちが手がけていた作為的な写真を否定し、「自然主義」を掲げる作家が登場しました。それがイギリスのピーター・ヘンリー・エマーソンです。彼は“芸術とは人間の目に映る自然の姿をなぞることに意義がある”とし、“あるがままの写真であるべき”と主張しました。一方、アメリカではフランスやイギリスといったヨーロッパの動きとは異なったピクトリアリズムの動きが展開しました。その代表的な活動はニューヨークを中心にしたアルフレッド・スティーグリッツらが結成したフォト・セセッションのグループでした。写真の画像にあからさまに手を加えていくことを嫌ったかれらの活動は、ストレート写真が中心となっていく次の世代の萌芽となりました。1920年後半になると、写真は社会主義国家の誕生といった社会状況の変化や都市化の問題、一方で思想や哲学などによって写真本来の機能や役割を捉え直し、近代的な写真表現の追及が始まります。またライカA型の登場によってカメラは目の延長となり、その場で見たものをすぐに撮影することが簡単になりました。そのため、街や人びとを捉えたストレート写真やドキュメンタリースタイルの写真が次々と世に送り出されるようになったのです。日本でも木村伊兵衛が庶民の日常の暮らしを写した「那覇の市場」など、写真というカテゴリーの中で、ストレート写真が定着していきました。また、技術や科学の発達は、カメラのレンズが人の眼ではなく、機械の目であることを人々に否応なしに意識させてゆきました。クローズアップや赤外線写真、ストロボが使えるようになり、人間の目では見ることが出来なかった映像を、写真を通じて見ることが出来るようになったのです。その後、第一次世界大戦後、総合芸術のユートピアを目指す「バウハウス」の開校によって、写真はメッセージを明確に伝える道具としてグラフィックデザインなど商業美術にも大きな影響を与えました。また、この時代には視覚芸術における前衛運動を積極的に取り込んだ写真が多く、人間の心の中に潜む無意識や夢、欲望などに着眼した幻想的な世界を描くシュルレアリスムの時代でもありました。教育的で実験的なこのような活動は、コラージュやマン・レイのソラリゼーションやフランツ・ローのネガ・フォトなど多彩の形で表現されました。第2部では写真がその独自の「芸術」と「表現」をどのように発展させていったのか、19世紀後半から1930年代までの写真表現の変遷をたどります。


EMERSON, Peter Henry 「沼地からの帰路」 1886年 
ヘンリー・ピーチ・ロビンソン「夜明けと日没」 1885年 
フランツ・ロー「鏡の前の女」 撮影年不詳