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作者インタビュー


ーオノデラさんにとって、写真の魅力を感じた印象的な出来事を教えてください。
写真の面白さの本質はメイン・ストリート的なところではなくて、言ってしまえば裏道的なところにあります。
私は子供の頃、父が作り上げた写真アルバムを見るよりも、そのアルバムに貼られずに見捨てられた雑多なプリントが入ったブリキのお菓子箱の中身を覗くほうが好きで、時々開けては見て楽しんでいました。白黒、カラー、大小、様々な時々の被写体の写真がバラバラに箱の中に詰まっていました。アルバムと違ってその中のカオスは見るたびに違う印象を与えてくれたのを覚えています。ではなぜそんなに面白かったのか? 子供の私にはわかりませんでしたが、今から考えるとあの箱の中身は、本来的な写真の使命とも言える、記録する、分類する、位置づけるという役割から解放された、ただの世界の断片の集積であって、写真の不思議さとその都度得られる発見の楽しみなどが、まさに、その箱に詰まっていたからかもしれません。案外私の脱写真的行為と言われる部分はそんな既存の写真の本来性から外れたものに対する直感的な興味が源泉となっているのかもしれないのです。
自分の写真を棚に上げて言うのも何ですが、私にとって写真は古ければ古いほど魅力的です。シャッタースピードが遅く、身構えて撮影された19世紀の肖像写真のモデルの眼差しには独特の魅力があります。己が写真化されることに対する戸惑い? それとも未知な現象に対する興味? それらの肖像写真には、その時間やモデルの人格までもが内包されているようです。
それは現代の瞬時になんでも捉える機動力のあるカメラと、自分の顔を予想されたイメージどおりに写真に変換することにたけている我々と、かけ離れた遠い出来事のように思えます。実は私はいま「はたして私たちは写真の発明以前に遡れるか? そんな事件を写真というメディアを使いながらも実現出来るだろうか?」というSF小説じみたことに興味をもっているのです。

ー作品のアイディアは、一体どのような時に思いつくのでしょうか。
私の場合、アイディアを思いついた<その時>よりもそのアイディアをアタマの片隅に捕獲? したまま熟成させるその熟成期間の方が重要です。時間の中でアイディアは成長、変形、ときには突然変異を起こします。4、5年熟成が必要なケースもあります。そしてある時、現実化できるという確信が得られるのです。そうなると具体的な作業に入ります。たとえば「Transvest」は当初、昆虫の擬態への興味がどんどん膨らんでいき、それがテーマとなって考えを巡らせていたのです。そのうち擬態がファッションへ、昆虫が人間へと変化していきました。真珠のシリーズではカメラの中にビー玉をいれて撮影していますが、蚤の市で手に入れた革張りの箱形カメラをいじくり回していた時、宝石箱のように箱の中に何かを入れてみたくなったのがきっかけですね。

ーオノデラさんの作品には、どうして浮かんでいるものが多いのでしょうか。
私たちは重力のある世界にいるので、つい<浮いている>ところに目が行ってしまうと思うのですが、他の意味でも私の作品はすべて浮いているんです。視覚的に被写体が浮かんでいない作品でもそれらは地盤に足をつけずに浮いているような、そうとも言える内容を持っています。そもそも確固とした地盤と言われているものだってひとつのフィクションのようなものではないかと考えれば、足をつけていてもつけていなくてもどちらでも浮遊しているようなものです。ただ視覚的に違和感や開放感を感じさせる浮遊は、鑑賞者にとっては作品と自由に対峙するとっかかり、牽引役となっているかもしれません。なんか変だな、という感じでじっと見入ってもらえる。そうすると色々と見えてくるのです。

ーカメラという機械の仕組みにも興味があったのでしょうか。
最初の頃はライカM3を使って写真を撮っていました。すべて手動操作のカメラなのでシャッタースピードと絞りの関係が初心者にもよく理解できました。最初から現像もプリントも自身で行いましたので、製作の中でカメラや引き延ばし機という装置がどのように関わるかがとても明快でした。それで私にとってカメラはただの機械であって、それは常に撮影者と被写体の間にあり、光学的に枠内の事象を捉え、化学的に定着させるものと認識していました。我々はカメラで捉えたものが「現実」に近く、描写力にもすぐれていると思わされていますが、決してそんなことはありません。人間が肉眼で見たものは、むしろ、そう、デッサンなどで描写した方が「わたし=主観が見た現実」に近いものを再現できるように思えます。カメラにはレンズの特性やフィルムの感度などの規制が多く、なかなか見た目どおりに撮れないことは誰もが体験していることでしょう。それを技術で現実のように仕上げるのが一般的にプロの仕事とも言えますが、私はそのようなプロにはならずに、カメラで捉えたものはカメラの前にあったものとイコールではないというのが前提となって、写真がその場所と時間からも乖離していくままに任せ…つまり受動的ともいえる姿勢を写真行為としているのです。

ープリントで一番大切にしていることは何ですか。
暗室でのプリントは化学的な方法に従いますが、その際にたとえば非常識な手段やタブーと言われるプロセスなどをあえて独自に考えて自分の技術として取り入れていますから、それが表現効果となっています。暗室の道具も自分で手作りします。私にとって「イメージ=画像」はプリントとして物質化した時に「写真」になります。どのように物質化するかは、油絵などと比べるとマチエール(素材によってつくり出される効果)がほとんどないのが写真ですが、紙である限りその微細な表面にもマチエールは確かにあるのです。その仕上げまでが私の仕事です。イメージ、ましてやデジタルイメージというのはそれだけでは存在しない、すぐ消えてしまう幻のようなものではないでしょうか。

ーフランスで制作活動をされるメリットは何でしょうか。
フランスはアーティストにとって活動しやすい環境が整っています。フランス各地どこでもアートセンターがあり、さらに文化省や地方現代美術基金が作品のコレクションをし展覧会も行います。現代美術や写真の様々なフェスティバルが企画され、作品発表の場は非常に多い。また、アーティストという立場も職業的に確立されており、アーティスト組合に加入すれば、公営アトリエも社会保障も得られますし、制作を助ける公的支援制度も数多くあります。いつも驚くのは外国人でもこういった全ての支援をまったく同様に受けられることです。

[2010年5月 インタヴュー]

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