本日は開館しております(10:00-20:00)
《無題(窓から)》〈洋子〉より 1973年 ©深瀬昌久アーカイブス
2F 展示室

深瀬昌久 1961-1991

レトロスペクティブ

2023.3.36.4

  • 開催期間:2023年3月3日6月4日
  • 休館日:毎週月曜日(ただし、5/1は開館)
  • 料金:一般 700(560)円/学生 560(440)円/中高生・65歳以上 350(280)円 ※( )は当館の映画鑑賞券ご提示者、年間パスポートご提示者(同伴者1名まで)、各種カード会員割引料金。各種割引の詳細はご利用案内をご参照ください。各種割引の併用はできません。 ※小学生以下、都内在住・在学の中学生および障害者手帳をお持ちの方とその介護者(2名まで)、年間パスポートご提示者(回数の上限あり)は無料。※「TOPデジタルスタンプラリー2022-2023」対象(3/3-3/31)

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このたび東京都写真美術館では「深瀬昌久1961–1991 レトロスペクティブ」展を開催します。深瀬昌久は自身の私生活を深く見つめる視点によって、1960年代の日本の写真史のなかで独自のポジションを築きました。それは写真の原点を求めようとする行為でもあり、のちに「私写真」と呼ばれ、写真家たちが向かった主要な表現のひとつとして展開していきます。
深瀬は妻や家族など、身近な存在にカメラを向け、自身のプライベートを晒しながら、自己の内面に潜む狂気に意識を向けていきます。その狂気は、被写体に対する愛ある眼差しと、ユーモラスな軽やかさが混在し、深瀬作品を特別で唯一無二なものにしています。
本展では、〈遊戯〉〈洋子〉〈烏(鴉)〉〈家族〉など、主要作品を網羅した東京都写真美術館のコレクションに加え、《無題(窓から)》〈洋子〉、日本大学芸術学部が1980年代初頭に収蔵した〈烏(鴉)〉、個人所蔵の〈ブクブク〉〈サスケ〉ほか、充実した作品群によって構成します。1960年代から1990年代の初頭に活動した深瀬昌久の軌跡を辿り、彼独自の世界に触れる機会とします。

展示構成[全8章]
1章|遊 戯
2章|洋 子
3章|家 族
4章|烏(鴉)
5章|サスケ
6章|歩く眼
7章|私 景
8章|ブクブク

出品作品点数
計114点(写真作品113点、壁面直貼り作品は1式で1点)※資料および書籍15点

展示解説と主な出品作品
1章|遊 戯

《屠、芝浦》〈遊戯〉より 1963年 東京都写真美術館蔵 ©深瀬昌久アーカイブス

〈遊戯〉は、深瀬昌久が十数年かけて撮影した写真群をオムニバス形式でまとめたシリーズです。8年間同棲した昔の恋人・川上幸代を振り返る「冥」、と場で解体される家畜と恋人の鰐部洋子を撮った「屠」、洋子との結婚生活をありのままに見せた「寿」、新宿でアンダーグラウンドシーンの人々と共同生活を送った日々を撮った「戯」、洋子とその母を写した「母」「譜」の6章で構成されています。生と死、出会いと別れが織りなす日常を捉え〈遊戯〉と題しました。1971年、本作は『カメラ毎日』編集者の山岸章二の編集により、深瀬の初めての写真集として出版されています。

2章|洋 子

《無題(窓から)》〈洋子〉より 1973年 ©深瀬昌久アーカイブス

深瀬の代表作〈洋子〉は、深瀬の妻・洋子を被写体に十年余りの歳月をかけて撮影されたシリーズです。深瀬は、出会った頃から洋子を撮り、それは結婚後も続けられました。1960年代には二人が暮らした草加松原団地を舞台に、1970年代には北海道や金沢、伊豆などの旅行先で、洋子を撮影しています。1973年の秋には、勤め先の画廊に毎朝出勤する洋子の姿を四階の自室窓から望遠レンズで撮り続け、それらを「洋子」と題して誌上で発表しました。1974年、ニューヨーク近代美術館で開催された写真展「New Japanese Photography」にも〈洋子〉を出品しています。しかし、次第に二人の間には「写真を撮るために一緒にいるようなパラドックス」が生じ、1976年に離別しました。

3章|家 族

《上段左から妻・洋子、弟・了暉、父・助造、妹の夫・大光寺久、下段左から弟の妻・明子と妹の長男・学、母・みつゑと弟の長女・今日子、妹・可南子、弟の長男・卓也》〈家族〉より 1971年 東京都写真美術館蔵 ©深瀬昌久アーカイブス

1971年の夏、三十代も半ばに入り郷里を懐かしんだ深瀬は、洋子を伴って故郷の北海道中川郡美深町を訪れ、父・助造が経営していた深瀬写真館の写場に置かれた古い八切写真機のタチハラ・アンソニーA型を使って、洋子を含めた一家の記念写真を撮影します。後に〈家族〉と呼ばれるシリーズの始まりでした。以降、頻繁に帰省しては、同様の記念撮影を行い、1974年には自身と両親、洋子の遺影をそれぞれ写しました。一連の撮影は1975年に中断されましたが、1985年、衰えた父・助造の姿を見て「ピントグラスに映った逆さまの一族のだれもが死ぬ。その姿を映し止める写真機は死の記録装置だ」との理由から深瀬は撮影を再開します。1987年1月に助造が他界すると、葬儀の日に喪服姿の家族を写場に集め、かつて助造が立った位置にはその遺影を置き撮影しました。1989年、深瀬写真館は廃業し家族は四散。20年弱続いた本作も幕を閉じました。

4章|烏(鴉)

《金沢》〈烏(鴉)〉より 1978年 日本大学芸術学部蔵  ©深瀬昌久アーカイブス

1976年の春、深瀬は破綻した結婚生活から逃れるように旅に出ます。幼年期の原風景が残る北海道に向かい、函館から故郷の美深町まで北上し、根室の納沙布(のさっぷ)岬、釧路、標茶(しべちゃ)、トドワラ、美幌(びほろ)、網走(あばしり)、襟裳(えりも)岬などを訪れ、同地に数多く生息するカラスにレンズを向けました。東京に戻り山岸に写真を見せると、カラスがよく映っていたことから「烏」を題名にすることを薦められ、1976年、15年ぶりとなる写真展「烏」を開催します。この展示により翌77年に第2回伊奈信男賞を受賞し、本作は深瀬の代表作の一つとなりました。展示後、旅ではあくまで原風景の一部として捉えていたカラスそのものを意識的に撮ろうと決め、北海道や洋子の故郷・金沢で撮影を続けます。その数年後には「ぼく自身が烏だと居直っていた」と心境にさらなる変化が訪れ、写真の視座にもカラスの視点から見た風景への変化が見られるようになりました。

5章|サスケ

《無題》〈サスケ〉より 1977-1978年 個人蔵 ©深瀬昌久アーカイブス

深瀬はその生涯で多くの猫と暮らし、写真に残しています。なかでも印象的なのがサスケとモモエでした。洋子との離別から半年ほどが経った1977年の初夏、深瀬は友人の写真家・高梨豊の紹介で子猫を譲り受けます。ピョンピョンと元気に跳ねる姿から忍者の猿飛佐助を連想した深瀬は、サスケと名づけました。ところが、譲り受けて間もなく、サスケは行方をくらましてしまいます。サスケと再会できなかった深瀬は、よく似た別の子猫を引き取り、二代目サスケと名づけ、どこへ行くにも連れ回しました。1年後、成猫となったサスケの動きが緩慢になったため、新しい子猫を引き取りモモエと名づけて飼い始めました。深瀬は二匹との撮影の日々を振り返って、「私はみめうるわしい可愛い猫でなく、猫の瞳に私を映しながら、その愛しさを撮りたかった」と書き残しています。

6章|歩く眼

《無題》〈歩く眼〉より 1983年 東京都写真美術館蔵 ©深瀬昌久アーカイブス

本作は、壮年期を迎えた深瀬が東京での記憶を手がかりに、その記憶の残像を探る試みだったといえるでしょう。1982年、深瀬は上京後30年間で移り住んだ14か所を順々に再訪します。かつて洋子と暮らした松原団地を訪れた際には、一種の怖いもの見たさ、あるいは罪を犯した人が現場に戻る心境を連想しながら、「撮る欲望がとめどなく肥大して、累々たるイマージュの墓石がひろがる」と書き綴っています。右手にカメラを携えて歩き続けるうち、目の触手が何かに絡んだ瞬間シャッターが押されているほどにカメラアイと化した深瀬は、あてもなく歩いて撮影した場所を東京都の地図に赤く塗り潰しました。「同じような川筋が街並が雑踏が、のっぺらぼうに眼を通過していく」と書いたことから、本作を「歩く眼」と題しました。

7章|私 景

《ロンドン》〈私景〉より 1989年 東京都写真美術館蔵 ©深瀬昌久アーカイブス

深瀬は、関心ある被写体を写真に撮ることで、撮影対象をことごとく失ってきたといえます。そんな深瀬にとって、晩年に残された被写体は他でもない彼自身でした。1989年、旅先のヨーロッパやインドで自身の身体の一部をフレーム・インさせて風景を撮り始めます。写真に写される物事は自分自身の反映といえることから「私景」と題しました。後に舞台を東京に移したあとも同様の手法を用いて、1990年12月から丸1年かけて撮影します。1992年2月、銀座ニコンサロンで発表された〈私景 ❜が444枚もの写真プリントで埋め尽くされ、その大半に深瀬自身が写り込むという異様な内容でした。同年6月、深瀬は行きつけのバーの階段から転落し、重度の後遺症を負います。以降は特別養護老人ホームで介護を受けながら過ごし、二度とカメラのシャッターを切ることはありませんでした。

8章|ブクブク

《91.11.10》〈ブクブク〉より 1991年 東京都写真美術館蔵 ©深瀬昌久アーカイブス

1991年の暮れ、深瀬は自宅の湯船の中に潜った自分の姿を約1か月間写し続けました。水中の下からあおりながら撮ると、光源の入射角が大きくなることで水面に光の全反射が発生します。この時、水面に水鏡が生まれて水中の像が反射し、深瀬の顔が上下にふたつ繋がったイメージが生まれます。深瀬はフィルムを現像するまで想像のつかないランダムな写真の仕上がりが気に入ったようでした。撮影の最終日に綴られた手記には、「9時45分 今夜でブクブクは完全に終らせる」「ブクブクはもう充分うつしたし、これは世界的傑作として残ることはまちがいない」「この次の憑物は何だろう?」「ぼくの一生というのは写真に憑かれていたらしい」と記されています。1992年、本作は銀座ニコンサロンで開催された「私景 ’92」の一部として展示発表されました。本展では、当時の〈ブクブク〉の展示を一部再現しています。

※公式図録の「解説」(文=トモ・コスガ)を参考に作成

深瀬昌久|Masahisa Fukase
1934年北海道生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。日本デザインセンターや河出書房新社などでの勤務を経て、1968年に独立。1960年代初期よりカメラ雑誌を中心に写真作品を多数発表。1974年、米・ニューヨーク近代美術館で開催された企画展「New Japanese Photography」を皮切りに、世界各国の展覧会に多数出品。代表作に〈遊戯〉〈洋子〉〈烏(鴉)〉〈家族〉〈サスケ〉などがある。1977年第2回伊奈信男賞、1992年第8回東川賞特別賞など受賞。2012年没、享年78。




※事業は諸般の事情により変更することがございます。あらかじめご了承ください。

主 催|公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都写真美術館
協 賛|東京都写真美術館支援会員
協 力|深瀬昌久アーカイブス

【広報誌関連特集】
東京都写真美術館 ニュース「eyes 112」巻頭特集
「深瀬昌久 1961-1991 レトロスペクティブ」関連インタビュー
デジタルブックはこちら
*本編未収録のトピックスを追補した「追補版」はこちら[PDF]

東京都写真美術館ニュース別冊「nya-eyes vol.146」
デジタルブックはこちら
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【関連展覧会】
「深瀬昌久展|眼差しと遊戯」(外部サイトへリンクします)
会 期|2023年4月15日(土)-5月21日(日) 会期終了
会 場|MEM(東京・恵比寿)

関連イベント

深瀬昌久 作家活動30年の軌跡
2023年3月3日(金) 17:00~18:30[開場16:30]  終了致しました
講師|トモ・コスガ(深瀬昌久アーカイブス、ディレクター)
会場|東京都写真美術館1階ホール
定員|190名
参加費|無料。ただし入場時に「深瀬昌久 1961-1991 レトロスペクティブ」展の半券の提示必須。
参加方法|10:00より1階総合受付にて整理券を配布。
13 Ways of Looking at Fukase
2023年3月5日(日) 14:00~16:00[開場13:30]   終了致しました
※日英逐次通訳付
講師|アマンダ・マドックス(世界報道写真財団、主任キュレーター)
会場|東京都写真美術館1階ホール
定員|190名
参加費|無料。ただし入場時に「深瀬昌久 1961-1991 レトロスペクティブ」展の半券の提示必須。
参加方法|10:00より1階総合受付にて整理券を配布。

諸般の事情により内容を変更する場合があります。あらかじめご了承ください。
インターネット番組「ニコニコ美術館」配信
2023年5月2日(火) 18:30~  終了致しました
本展「深瀬昌久1961-1991 レトロスペクティブ」展と同時開催中の「TOPコレクション セレンディピティ」展のみどころを、閉館後の展示室から生解説付きで紹介します。
ニコニコ美術館「東京都写真美術館『深瀬昌久』&『TOPコレクション セレンディピティ』を巡ろう」
2023/5/2(火) 18:30開始
※生配信終了後、アーカイブ配信あり
※外部サイトにリンクします
寄稿「深瀬昌久を見る十三の方法」アマンダ・マドックス(世界報道写真財団、主任キュレーター)
アマンダ・マドックス(世界報道写真財団、主任キュレーター)による、本展に寄せた書下ろしエッセイを公開いたします。
「深瀬昌久を見る十三の方法」 アマンダ・マドックス[PDF

展覧会図録

深瀬昌久 1961-1991レトロスペクティブ
作品図版、鈴木佳子(東京都写真美術館学芸員)、トモ・コスガ(深瀬昌久アーカイブス、ディレクター)による展覧会ノートおよび解説を収録、作品リストを収録。
※本書掲載図版のなかで未出品作品が3点含まれます(図録p.35,38,39)

図録一覧はこちら