比嘉康雄《本土集団就職 那覇港》 〈生まれ島・沖縄〉より 1970年 ゼラチン・シルバー・プリント 東京都写真美術館蔵
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TOPコレクション 琉球弧の写真
2020.9.29(火)—11.23(月・祝)
- 開催期間:2020年9月29日(火)~11月23日(月・祝)
- 休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日・振替休日の場合は開館し、翌平日休館)
- 料金:一般 600(480)円/大学・専門学校生 480(380)円/中高生・65歳以上 300(240)円 ※( )は20名以上の団体、当館の映画鑑賞券ご提示者、各種カード会員割引/小学生以下、都内在住・在学の中学生および障害者手帳をお持ちの方とその介護者は無料 ※各種割引の詳細はご利用案内をご参照ください。10月1日(木・都民の日)は無料。※ 各種割引の併用はできません。
本展では、「琉球弧の写真」と題し、35,000点を超える当館コレクションから、新規収蔵作品を中心に、沖縄を代表する7名の写真家(山田實、比嘉康雄、平良孝七、伊志嶺隆、平敷兼七、比嘉豊光、石川真生)の多種多様な写真表現を紹介します。 沖縄は、その温暖な気候や風土、古来からの歴史を背景に、独自の文化を育んできました。本展出品作品の多くは、1960年代から70年代の沖縄を撮影したものです。市井の人々の暮らしや、大きなうねりとなった復帰運動、古くから各地に伝わる祭祀などを写した作品は、それぞれの写真家にとって、キャリア初期の代表作となっています。 沖縄に暮らし、沖縄にレンズを向けた7名の写真家の作品には、沖縄のみならず、琉球弧(奄美群島から八重山列島にかけて弧状に連なる島々)全体を見据えたまなざしがあり、様々な角度から、この土地固有の豊かさと同時に、沖縄が直面する困難を写し出しています。 本展はこれまで沖縄県外の公立美術館で紹介されることが少なかった、沖縄を代表する写真家の作品を網羅的に紹介する初の展覧会です。
出品作家 山田 實/比嘉 康雄/平良 孝七/伊志嶺 隆/平敷 兼七/比嘉 豊光/石川 真生
出品作品点数 206点
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山田實《手をつないで 糸満漁港》 1960年 ゼラチン・シルバー・プリント 東京都写真美術館蔵
比嘉康雄《女性初の国政参加 コザ、山内》〈生まれ島・沖縄〉より 1970年 ゼラチン・シルバー・プリント 東京都写真美術館蔵
平良孝七 《74・8 多良間村水納島》 〈パイヌカジ〉より 1974年 ゼラチン・シルバー・プリント 名護市蔵
伊志嶺隆 《星立》〈光と陰の島〉より 1987年 ゼラチン・シルバー・プリント 東京都写真美術館蔵
平敷兼七《火葬場 南大東》1970年 ゼラチン・シルバー・プリント 東京都写真美術館蔵
比嘉豊光《コザ暴動》〈赤いゴーヤー〉より 1970年 ゼラチン・シルバー・プリント 東京都写真美術館蔵
石川真生〈赤花 アカバナ― 沖縄の女〉より 1975-77年 ゼラチン・シルバー・プリント 東京都写真美術館蔵
作家略歴
山田 實(やまだ・みのる/1918-2017)
1918年、兵庫県生まれ。2歳のときに一家で那覇に移住し、1936年に第二中学校(現・那覇高等学校)を卒業。1941年、明治大学商科(現・商学部)卒業後、日産土木(現・りんかい日産建設)に入社し、満州に赴任した。現地で召集され従軍。終戦後はシベリア抑留を経て、1952年に沖縄へ帰還し、同年、那覇で写真機店を開業した。1959年、沖縄ニッコールクラブを結成。2002年、『こどもたちのオキナワ 1955–1965』(池宮商会)を刊行。翌年、那覇市民ギャラリーで「時の謡 人の譜 街の紋 山田實・写真50年」を開催。2012年、『山田實が見た戦後沖縄』(琉球新報社)、『山田實写真集 故郷は戦場だった』(未来社)を刊行。同年、沖縄県立博物館・美術館で「山田實展 人と時の往来」が開催された。翌年、日本写真協会賞功労賞、第29回写真の町東川賞飛驒野数右衛門賞を受賞。没後の2018年、ニコンプラザ新宿で生誕100年を記念して「山田實写真展 きよら生まり島─おきなわ」が開催された。
比嘉 康雄(ひが・やすお/1938-2000)
1938年、フィリピンで沖縄からの移民の子として生まれる。第二次世界大戦終戦後、家族と共に沖縄に引き揚げ、1958年にコザ市(現・沖縄市)のコザ高等学校を卒業。卒業後は嘉手納警察署に警察官として勤務し、鑑識の業務でカメラを手にする。1968年にアメリカ軍の嘉手納空軍基地で起きたB52爆撃機墜落事故を契機に警察官を辞め、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)で写真を学んだ。1971年に卒業し、個展「生れ島・沖縄」(銀座ニコンサロン)を開催。翌年、『生れ島・沖縄』(東京写真専門学院出版局)を刊行。1976年、「おんな・神・まつり」で第13回太陽賞を受賞。1979年、『神々の島 沖縄久高島のまつり』(共著、平凡社)、翌年、『琉球弧 女たちの祭』(共著、朝日新聞社)を刊行。1993年、『神々の古層』(全12巻、ニライ社、1989–93年)により日本写真協会賞年度賞を受賞。2000年、『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』(集英社新書)を刊行。没後の2001年、那覇市民ギャラリーで「比嘉康雄回顧展 光と風と神々の世界」が開催。2008年、「沖縄・プリズム 1872–2008」(東京国立近代美術館)に出品、2010年には『比嘉康雄写真集 情民』(未来社)が刊行された。2010–11年、「母たちの神─比嘉康雄展」(沖縄県立博物館・美術館、IZU PHOTO MUSEUM)が開催。同展に合わせて『母たちの神─比嘉康雄写真集』(出版舎Mugen、2010年)が刊行された。
平良 孝七(たいら・こうしち/1939−1994)
1939年、沖縄本島北部の国頭郡大宜味村に生まれる。1958年に辺土名高等学校を卒業後、上京を経て、1962年に辺土名で写真店を開業した。その後、琉球新報写真部、琉球放送テレビ報道部を経て、1970年より琉球政府の広報部に勤務。1972年、琉球政府の閉庁に伴い、沖縄県職員となった。1976年に『平良孝七写真集 パイヌカジ〈記録1970年~1975年〉』(私家版)を刊行。翌年、同書により、第2回木村伊兵衛写真賞を受賞した。1982年、『平良孝七写真集 1961年~1981年 沖縄カンカラ三線』(三一書房)を刊行。1986年、写真を担当した『塩屋・ウンガミ 沖縄県大宜味村塩屋ウンガミの記録』(塩屋ウンガミ刊行委員会)が刊行。没後の2002年、「沖縄を見続けた写真家 平良孝七の世界」(名護市民会館ほか)が開催、『太陽と風とカンカラ三線 沖縄を見続けた写真家 平良孝七の世界』(平良孝七写真展実行委員会事務局)が刊行された。2008年には、「沖縄・プリズム 1872–2008」(東京国立近代美術館)に出品された。
伊志嶺 隆(いしみね・たかし/1945-1993)
1945年、家族の疎開先の台湾で生まれる。翌年、両親の故郷の宮古島に引き揚げ、1950年に一家で那覇市に移住。1965年、那覇商業高等学校を卒業。上京し、印刷会社での勤務を経て、1968年、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)入学。中退後、日本デザインセンター、高梨豊写真事務所に勤め、1971年にフリーとなり沖縄に戻った。翌年、琉球大学や沖縄大学の写真クラブ有志らと写真集団「ざこ」を結成。1988年、銀座ニコンサロンでの個展「光と陰の島」で、西表炭坑を題材にした作品を発表。1990年には、那覇市民ギャラリーで個展「72年の夏」を開催した。1993年、バイク事故により急逝。翌年、那覇市民ギャラリーで「伊志嶺隆遺作展」が開催。同年、『伊志嶺隆遺作集』(伊志嶺隆遺作集実行委員会)が刊行された。2008年、「沖縄・プリズム 1872–2008」(東京国立近代美術館)に出品、2011年には那覇市民ギャラリーで「伊志嶺隆写真展 島の陰、光の海」が開催された。2012年、『伊志嶺隆写真集 光と陰の島』(未来社)が刊行。2019年、「伊志嶺隆と平敷兼七」(沖縄県立博物館・美術館)が開催された。
平敷 兼七(へしき・けんしち/1948-2009)
1948年、沖縄本島北部の国頭郡今帰仁村に生まれる。1967年、沖縄工業高等学校を卒業。同年、上京し、東京写真大学(現・東京工芸大学)に入学した。1969年、同校を中退し、東京綜合写真専門学校に入学。翌年、『カメラ毎日』3月号で「故郷の沖縄」を発表した。1971年に東京綜合写真専門学校を卒業。1985年、嘉納辰彦、石川真生らと写真同人誌『美風』を出版した。1996年、『南灯寮』、『沖縄をすくった女性達』(いずれも私家版)を刊行。2007年、写真集『山羊の肺 沖縄1968–2005年』(影書房)を刊行。2008年、個展「山羊の肺 沖縄1968–2005年」(銀座・大阪ニコンサロン)を開催し、同展で第33回伊奈信男賞を受賞した。同年、「沖縄・プリズム 1872–2008」(東京国立近代美術館)に出品。没後の2016年、『父ちゃんは写真家 平敷兼七遺作集』(未来社)が刊行。翌年、「平敷兼七写真展 沖縄、愛しき人よ、時よ」(東京工芸大学写大ギャラリー)が開催。2019年、「伊志嶺隆と平敷兼七」(沖縄県立博物館・美術館)が開催された。
比嘉 豊光(ひが・とよみつ/1950-)
1950年、沖縄本島中部の中頭郡読谷村に生まれる。1975年、琉球大学法文学部美術工芸科を卒業。翌年、自主ギャラリー「写真広場あーまん」の設立に参加。1977年、「今日の写真・展77」(神奈川県民ホールギャラリー)に出品。1982年、『熱き日々inキャンプハンセン!!』(共著、あーまん出版、1982年)を刊行。1997年、比嘉康雄、村山友江らと「琉球弧を記録する会」を設立。2001年、『光るナナムイの神々』(風土社)を刊行。2003年、山形国際ドキュメンタリー映画祭に《島クトゥバで語る戦世》、《ナナムイ》(いずれも2003年)を出品。翌年、『赤いゴーヤー』(ゆめあーる)を刊行。2007年、復帰35周年沖縄県立美術館開館記念関連イベント「写真0年 沖縄」に参加(北島敬三、浜昇との三人展)。翌年、「沖縄・プリズム 1872–2008」(東京国立近代美術館)に出品。2010年、佐喜眞美術館で個展「骨からの戦世─65年目の沖縄戦 比嘉豊光展」が開催。同年、『骨の戦世』(共編、岩波書店)、2012年、『全軍労・沖縄闘争 比嘉豊光写真集』(出版舎Mugen)を刊行。2014年、光州ビエンナーレ20周年記念展「甘露─1980年その後」(光州市立美術館)に参加した。
石川 真生(いしかわ・まお/1953-)
1953年、沖縄本島北部の国頭郡大宜味村に生まれる。1974年、WORKSHOP写真学校の東松照明教室で学ぶ。1977年、個展「金武の女たち」(ミノルタフォトスペース)を開催。1982年、『熱き日々inキャンプハンセン!!』(共著、あーまん出版、1982年)を刊行。「フィリピン」(那覇市民ギャラリー、1989年)、「港町エレジー」(那覇市民ギャラリー、1990年)、「仲田幸子一行物語」(リウボウホール、1991年)の開催に合わせて、同名の写真集を刊行(いずれも私家版)。2004年、「ノンセクト・ラディカル 現代の写真III」(横浜美術館)に参加。2008年、「沖縄・プリズム 1872–2008」(東京国立近代美術館)に出品。2010年、『石川真生写真集 FENCES, OKINAWA』(未来社)を刊行。2013年、横浜市民ギャラリーあざみ野で個展「写真家 石川真生─沖縄を撮る」が開催された。2017年、『Red Flower: The Women of Okinawa/赤花 アカバナー 沖縄の女』(Session Press)を刊行。2018年、原爆の図丸木美術館で個展「石川真生 大琉球写真絵巻」が開催。2019年、日本写真協会賞作家賞を受賞した。
□助成:公益財団法人ポーラ美術振興財団