本日は開館しております(10:00-18:00)

シュウゾウ・アヅチ・ガリバー《シネマティック・イリュミネーション》 1968-69年  インターメディア 東京都写真美術館蔵
スライドフィルム1440枚、スライドプロジェクター18台、モノクロ、カラー、サウンド(本展のみ) 音楽監修:立川直樹
B1F 展示室

エクスパンデッド・シネマ再考

2017.8.1510.15

  • 開催期間:2017年8月15日10月15日
  • 休館日:毎週月曜日(ただし月曜日が祝日の場合は開館し、翌平日休館)※9月18日(月・祝)、10月9日(月・祝)は開館し、9月19日(火)、10月10日(火)休館
  • 料金:一般 600(480)円/学生 500(400)円/中高生・65歳以上 400(320)円 ※ ( )は20名以上団体、当館の映画鑑賞券ご提示者、各種カード会員割引(ご利用案内をご参照ください)/ 小学生以下、都内在住・在学の中学生および障害をお持ちの方とその介護者は無料/第3水曜日は65歳以上無料。ただし、8月18日(金)・25日(金)の毎金曜日18:00-21:00はサマーナイトミュージアム割引(一般 480円/学生・中高生 無料/65歳以上 320円 ※各種割引の併用はできません)※9月18日(月・祝)は65歳以上は無料 ※都民の日(10.1日)は入場無料

東京都写真美術館では、映像コレクションを軸に、映像メディアの歴史を振り返りながら、未来の映像の可能性を探る映像展として、「エクスパンデッド・シネマ再考」展を開催します。 「エクスパンデッド・シネマ(拡張映画)」は、従来の映画館等でのスクリーンへの投影とは異なった方法で上映される映画です。この上映形式は、1960年代半ば頃から欧米を中心に、美術家や実験映像作家によって展開されていきます。それは、今日では既に定着しているマルチプロジェクションやループ上映、 ライヴ・パフォーマンスをはじめ、同時代のインターメディアやアート&テクノロジーの状況と呼応しながら、 本来の映像がもつ多様性を再発見していく試みでした。本展では、「エクスパンデッド・シネマ」の誕生から様々な実験を繰り広げた日本の作品に着目し、その独自性と先見性を当館の映像コレクションを中心に検証していきます。

関連イベント
第10回恵比寿映像祭プレ・イヴェント 国際シンポジウム
インヴィジブル、インターメディア、エクスパンデッド ─ 映像の可能性
2017年10月9日(月・祝) 14:00~17:00 詳細はこちら


出品作家/作品
[出品作家]
松本俊夫、シュウゾウ・アヅチ・ガリバー、飯村隆彦、おおえまさのり、真鍋博、 城之内元晴、佐々木美智子、金坂健二、ジャド・ヤルカット
[作品]
13点 そのほか、日本のエクスパンデッド・シネマの歴史的な関連資料110点を紹介します。

松本俊夫
1932年愛知県名古屋市生まれ、2017年死去。映画監督・映像作家・映画理論家。東京大学文学部美学美術史学科を卒業後、新理研映画に入社し、〈実験工房〉のメンバーを起用してPR映画《銀輪》(1956)を演出。その後、『記録映画』『映画批評』などの雑誌で理論家として活動しつつ、《安保条約》(1959)、《西陣》(1961)、《石の詩》(1963)などの記録映画を手がける。1968 年に松本プロダクションを設立、ATG(日本アート・シアター・ギルド)と提携した《薔薇の葬列》(1969)で劇映画に進出。その後《修羅》(1971)、《十六歳の戦争》(1973–76)、《ドグラ・マグラ》(1988)などの劇映画と並行して、《つぶれかかった右眼のために》(1968)、《エクスパンション=拡張》(1972)、《アートマン》(1975)など数々の作品を製作し、国内における実験映画やヴィデオ・アートの動向を牽引した。イヴェント「クロストーク/インターメディア」(国立代々木競技場第二体育館、1969)では、《イコンのためのプロジェクション》で直径4 メートルのバルーン20 個に映像や照明を投影、また大阪万博「せんい館」では《スペース・プロジェクション・アコ》(1970)でマルチ画面の映像制作を行なった。主著に『映像の発見―アヴァンギャルドとドキュメンタリー』(1963)、『映画の変革―芸術的ラジカリズムとは何か』(1972)、『映像の探求―制度・越境・記号生成』(1991)[以上、すべて三一書房]などがある。

松本俊夫《つぶれかかった右眼のために》 1968年  シングルチャンネル・ヴィデオ(オリジナル16ミリフィルム 3本をデジタル変換)
モノクロ、パート・カラー、サウンド、13分  音楽:秋山邦晴
日本におけるエクスパンデッド・シネマの代表作。ヒッピー、学生運動、金嬉老事件など、当時のさまざまな風俗や出来事が3台のプロジェクターから投影され、ドキュメンタリーとアヴァンギャルドを横断するマルチ・プロジェクション作品。


松本俊夫《スペース・プロジェクション・アコ》(記録版) 1970年 シングルチャンネル・ヴィデオ(16ミリフィルムをデジタル変換) 
カラー、サウンド、15分 音楽:湯浅譲二
大阪万博せんい館で発表されたマルチプロジェクション作品。直径15m、20mのドーム内で、主役のアコの映像を巨大な彫刻に投影。35ミリプロジェクター10台、スライドプロジェクター8台、スピーカー57台を配置し、湯浅譲二と協働で観客参加型の映像音響体験をつくりだした。

シュウゾウ・アヅチ・ガリバー
1947年滋賀県大津市生まれ、東京在住。彫刻、版画、写真、パフォーマンス、インスタレーションなどの幅広いジャンルを横断する現代美術作家。高校時代にマルセル・デュシャンの著作に衝撃を受け、1965 年ハプニング《草地》を発表。1967年には池上慶一、水上旬らによるハプニング集団〈プレイ〉に参加。上京後は、映画という媒体そのものに注目する《Switch》(1967)、《Flying Focus》(1969)ほか、実験的な映像作品を制作し、1969 年「インターメディア・アート・フェスティバル」にて《Cinematic Illumination》を発表する。1973 年に写真集『Second Life of Gulliver』を刊行。1990年代以降、オランダ、イタリア、ドイツなどで作品を発表している。2010 年には滋賀県立近代美術館で回顧展「EX-SIGN」が開催された。

シュウゾウ・アヅチ・ガリバー 《シネマティック・イリュミネーション》 1968-69年 インターメディア スライドフィルム1440枚、スライドプロジェクター18台 モノクロ、カラー、サウンド(本展のみ) 音楽監修:立川直樹
1969年の「インターメディア・アート・フェスティバル」において、銀座のディスコ「キラー・ジョーズ」を会場に上映された伝説的作品。16ミリフィルムで撮影した映像をスライド写真に加工し、18台のプロジェクターによって360度のスクリーンへ投影。本展で約50年ぶりに再現する。


シュウゾウ・アヅチ・ガリバー《Watch》 1966-67年  シングルチャンネル・ヴィデオ(16ミリフィルムをデジタル変換) モノクロ、サイレント
関西の前衛芸術グループ〈The Play〉に参加するなど、パフォーマンスを中心に表現活動をしてきた作家の、初期の実験的な映画作品。必ず4時7分から上映されなければならない。投影された時計の映像は約20分間、実時間と同じ時を刻み続ける。
※本作品は、午後4時7分35秒からの1日1回のみの上映となります。

飯村隆彦
1937年、東京都生まれ。1959年慶應義塾大学法学部卒業後、実験映画の制作を始める。1960年代にオノ・ヨーコ、赤瀬川原平、小杉武久、土方巽ら前衛芸術家の協力のもと、8 ミリや16 ミリの前衛映画を個人で制作する。1964 年に実験映画集団〈フィルム・アンデパンダン〉を結成し、日本の個人映画史上最初の実験映画祭を行なう。1965 年、実験映画《LOVE》がニューヨークの実験映画のリーダー、ジョナス・メカスによって高く評価される。1969 年にヴィデオ・アートの制作を始め、1974 年にニューヨーク近代美術館、1979 年にはホイットニー美術館で個展とパフォーマンスを行ない、個人映画作家として国際的に評価される。代表作に《OBSEVER / OBSERVED》(1975)、《あいうえおん六面相》(1993)、《SEEING / HEARING / SPEAKING》(2001)。著書に『芸術と非芸術の間』(三一書房、1970)、『映像実験のために』(青土社、1986)など多数。

飯村隆彦《リリパット王国舞踏会》 1964 /66年 ダブル・プロジェクション(16ミリフィルム) 個人蔵
日本初のマルチプロジェクションによる構造的な実験映像作品。1960年代に「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」に参加し、ハプニングやパフォーマンスによって既成の概念を揺るがした伝説的な前衛作家、風倉匠の日常的動作が、いくつかの断片によって構成されている。


飯村隆彦《デッド・ムーヴィー》 1964年 フィルム・インスタレーション 16ミリフィルム、モノクロ、 サイレント 作家蔵
映画の死を象徴的に示した、投影するイメージが存在しないフィルム・インスタレーション。クロミをループ式に投影する何も映さない状態の旧型映写機に、もう1台の映写機で光を投影し、その影だけを映し出す。

おおえまさのり
1942年徳島県鳴門市生まれ、山梨県在住。映像作家、作家。1965年にニューヨークに渡り、ジョナス・メカスらアンダーグラウンド映画作家たちの影響下で映画制作を始める。ティモシー・リアリーやリチャード・アルバートとの交流を通して、アメリカで当時起こっていた「サイケデリック・レヴォリューション」を体験。一連の社会的なドキュメンタリー作品と並行して、《ループ式》(1966)などサイケデリックによってもたらされた個人の内的ヴィジョンの映像化と呼ぶべき作品を多数制作。《Head Game》(1967)、《No Game》(1967)は、のちに〈ニューズリール〉により全米配給が行なわれた。CBSの依頼により制作された6 面マルチプロジェクション作品《GREATESOCIETY》(1967)は、当時のアメリカのニュース映像をコラージュし、社会的メッセージと内的イメージを一体化した、エンヴァロメンタルな作品となった。1969年に帰国、自らの作品を上映するかたわら、金坂健二、中平卓馬とともに〈ニューズリール・ジャパン〉を立ち上げる。その活動は映画のみにとどまらず、70 年以降は写真集や精神世界に関するエッセイなどの多数の著作、『チベットの死者の書』(講談社、1974)をはじめ翻訳多数。

おおえまさのり《ループ式No.1 /N o.2 /N o.3》1966年 フィルム・インスタレーション 16ミリフィルム、モノクロ、サウンド、ループ  作家蔵
黒い背景に一本の白い線のイメージが延々とタイミングを変えて投影される、映像体験に特化した作品。サイケデリック文化のなかで生み出された異なった間隔の作品(No.1、4.2秒、No.2、2.8秒、No.3、4.7秒)を、本展では各5分間のループにて上映する。

真鍋博
1932年愛媛県宇摩郡(現・新居浜市)生まれ、2000年死去。イラストレーター、アニメーション作家、エッセイスト。多摩美術大学(油画専攻)在学中より読売アンデパンダン展などで作品を発表、池田満寿夫らとグループ〈実存者〉を結成するとともに、イラストレーターとして新聞、雑誌、SF 小説などの挿絵を手がける。第1回の草月コンテンポラリーシリーズ「作曲家集団/ 3 月の会 林光」では《ミュージカル・プロジェクション〈僕は神様〉》(1960)の制作に携わり、第5 回の草月ミュージック・イン「モダン・ジャズの多角的応用」においては、「映像とジャズの結合」として《シネ・カリカチュア》(1960)を発表するなど、映像と他の表現分野との横断的な実験をいち早く開始する。そして、久里洋二、柳原良平と〈アニメーション3 人の会〉を結成、第5 回の草月コンテンポラリーシリーズ「3 人のアニメーション」において、アニメーション上映と舞台での能や照明を融合させた《マリーン・スノウ》(1960)を送り出し、以降、《シネ・ポエム 作品No.1》(1961)、《時間》《March》(1963)、《潜水艦カシオペア》(1964)などを手がけていく。

真鍋博《マリーン・スノウ》1960年 シングルチャンネル・ヴィデオ(16ミリフィルムをデジタル変換) モノクロ、サウンド、22分 
愛媛県美術館蔵
実写で石油を扱った同題の科学映画に触発されて制作したアニメーション映画。「舞台のためのアニメーション」という副題がつくられ、放送詩の朗読に加え、投影された映像と絡むように観世栄夫のアクションが加えられる、日本におけるエクスパンデッド・シネマの先駆的作品。

城之内元晴
1935年茨城県生まれ、1986年死去。映画監督。1957年、日本大学藝術学部映画研究会(日大映研)に参加し、《N の記録》(1959)、《プープー》(1960)の演出を手掛ける。1961年にジャンルを越えた表現者たちの交流拠点として、〈VAN 映画科学研究所〉を立ち上げる。そこで荒川修作、風倉匠、赤瀬川原平、刀根康尚、小杉武久などの前衛作家たちと《ドキュメント6・15》(1961)、《シェルタープラン》(1964)、《WOLS》(1964-69)、《ゲバルトピア予告編》(1969)、《新宿ステーション》(1974)などの共同制作を行う。1970 年以降は神奈川映画ニュース映画協会および東京都映画協会にて数多くのニュース映画を手がけた。1977 年に製作を開始した《アイヌモシリへの道》は、未完の記念碑的な作品である。

城之内元晴《ドキュメント6・15》 1961年  シングルチャンネル・ヴィデオ(16ミリフィルムをデジタル変換) モノクロ、サイレント、18分
安保闘争における記録映画の枠組みを超えた領域横断的な作品から、本展では現存する唯一のフッテージを上映。1960年6月15日の安保闘争で亡くなった樺美智子の追悼統一集会(翌61年の同日に開催)で、16 ミリフィルムやスライド・プロジェクターの投影、音響などを用いてハプニングを目的に上映され、賛否を巻き起こした。

佐々木美智子
1934年北海道根室市生まれ、東京在住。22歳で上京、新宿でおでんの屋台を引いたあと、日活撮影所の編集部に3 年間勤務。東京綜合写真専門学校で写真を学び、日大全共闘、映画のスチール写真などを撮るとともに、運動の写真と映像を組み合わせた《何時か死ぬのね》(1974)を完成させる。その傍らで、新宿ゴールデン街で「Bar むささび」、新宿歌舞伎町で「ゴールデンゲート」などを経営。1979 年にブラジルへ渡り、アマゾンで9 年間飲食店・ペンションなどを経営する。1988 年、サンパウロへ移り、私設図書館を創立。1993年に帰国。著書に『新宿発アマゾン行き』(文芸春秋、1994)、写真集に『日大全共闘』(鹿砦社、2009)。

佐々木美智子《何時か死ぬのね》 1974年  シングルチャンネル・ヴィデオ(16ミリフィルムをデジタル変換) モノクロ、サウンド、30分 作家蔵
日大全共闘を撮った自らの写真と日常の断片的映像が組み合わされた、1968年から74年までのドキュメントかつ、作家個人の日記映画。

金坂健二
1934年東京都生まれ、1999年死去。写真家、映像作家、映画評論家。慶応大学文学部英文学科卒業後、松竹に社長づき通訳として入社。映画評論家として活躍する一方で前衛映画の製作を行い、60年代から70年代にかけて渡米し、アンディ・ウォーホルやアレン・ギンズバーグなど当時のカルチャー・シーンの中心人物とも交流を持ちながら、アンダーグラウンド映画を初めて日本に紹介。ストリートの深部に入り込み自らも写真家として多くの作品を発表した。

金坂健二《ホップ・スコッチ(石けり)》 1967年 シングルチャンネル・ヴィデオ(16ミリフィルムをデジタル変換) 白黒、サウンド、10分 
ハーヴァード・フィルム・アーカイヴ蔵
チャールズ・W・スミス原作の戯曲を金坂が映画化。石けりに興じる警官が殺される物語(アメリカで撮影)と、警官をだますハプニング(日本で撮影)が組み合わされ、警官が権威の象徴として描かれている。1967年1年、エクスパンデッド・シネマの事例として、本作の上映中に、仲間たちを招いて即興で音楽をつける「映画石けりの音入れハプニング」が草月アートセンターで開催された。

ジャド・ヤルカット
1938年ニューヨーク生まれ。2013年死去。実験映像作家、ヴィデオアーティスト、インターメディアアートの先駆者として知られる。60年代、70年代にナム・ジュン・パイクをはじめ、数多くのアーティストとコラボレーションを行い、実験映像、ヴィデオ作品を制作。1973年にオハイオ州デイトンへ移住し、ライト市立大学でヴィデオ・アートの授業を開始し以降さまざまな大学で教鞭をとる。

ジャド・ヤルカット《EXPO 67》(〈METAMEDIA〉より抜粋) 1967年 シングルチャンネル・ヴィデオ(16ミリフィルムをデジタル変換)
カラー、サウンド、4分 アンソロジー・フィルム・アーカイヴス蔵 協力  ジャド・ヤルカット財団   
Courtesy of the Estate of Jud Yalkut and Anthology Film Archives, New York
実験映像作家ヤルカットが1966年から1971年に制作したインターメディアとアヴァンギャルドについての映画ジャーナル「メタメディア」からモントリオール万博の記録を日本初公開する。


日本のエクスパンデッド・シネマ
エクスパンデッド・シネマは、その形式や内容からも、いま国際的に大変関心が高まっている映像表現です。とりわけエクスパンデッド・シネマが登場する1960年代の日本は、政治や社会が大きく変化していく時代でした。そのような中で、映像はドメスティックな場から社会的な大型イヴェントまで、さまざま場所で、さまざまな手法で表現が試みられました。
本展では、日本作品の独自性と先見性に着目し、60年代の実験を現代の技術によって忠実に再現することにより、歴史的瞬間をよみがえらせる画期的な試みです。当時の資料や記録からも、時代を再検証していきます。また時代の変化のなかで、個人の日常やさまざまな境界を拡張していく実験にも注目していきます。
日大映研・・・1957年に設立された日本大学芸術学部映画研究会の略称。赤瀬川原平、飯村隆彦、オノ・ヨーコなど、戦後の多くの前衛芸術家たちが交流した。
草月アートセンタ―・・・草月会館において、1958年9月に映画監督の勅使河原宏によって設立された組織で、60年代における日本の前衛的な映像表現を紹介する中心的な場となった。
日本万国博覧会・・・60年代の前衛映像作家の活躍は、1970年に大阪で開催された日本万国博覧会へとつながり、多くの革新的な日本の映像表現が世界に紹介された。
さらに、海外作家の事例やエクスパンデッド・シネマが多く登場したことで知られているモントリオール万博(1967)などの関連資料とあわせ、歴史的にエクスパンデッド・シネマを再考します。

「アンダーグラウンド・シネマ」冊子(デザイン:細谷厳) 1969年 一般財団法人草月会蔵(慶應義塾大学アート・センター寄託)

「EXPOSE 1968 変身、あるいは現代芸術の華麗な冒険」ポスター(デザイン:粟津潔)1968年 一般財団法人草月会蔵(慶應義塾大学アート・センター寄託)

『ニューズリール・ジャパン』1969年1巻1号 個人蔵

《ゲバルトピア予告編》撮影風景 1969年(写真:佐々木美智子)個人蔵 左下/MAC・J機関誌 1965年2号 絵・足立生 個人蔵

□主催:東京都 東京都写真美術館
□協賛:凸版印刷株式会社

関連イベント

アーティストトーク
2017年8月19日(土) 14:00~15:30 飯村隆彦(出品作家)  終了致しました
2017年8月20日(日) 14:00~15:30 おおえまさのり(出品作家)  終了致しました
2017年8月26日(土) 14:00~15:30 シュウゾウ・アヅチ・ガリバー(出品作家)  終了致しました
定員:各回50名 
会場:東京都写真美術館 2階ロビー
※当日10時より1階総合受付にて整理券を配布します。
8ミリ自家現像ワークショップ
2017年9月23日(土・祝) 10:15~19:00  終了致しました
2017年9月24日(日) 10:15~19:00  終了致しました
8ミリフィルム(モノクロ)での撮影から現像、上映までを全2日間で行う制作ワークショップを開催します。
講師:石川亮(東京国立近代美術館フィルムセンター技術員、映像作家)、郷田真理子(フィルム技術者)
定員:12名(事前申込制、応募者多数の場合は抽選) 
対象:一般大人 
参加費:5,000円
申込締切:2017年9月12日(火)
※申込方法など詳細はこちらをご覧ください。
第10回恵比寿映像祭・国際シンポジウム:インヴィジブル、インターメディア、エクスパンデッドー映像の可能性
2017年10月9日(月・祝) 14:00~17:00(開場13:45) ※英日同時通訳付  終了致しました
来年2月の第10回目恵比寿映像祭の開催を記念するプレイベントとして、恵比寿映像祭を読み解くための、国際シンポジウムを開催します。
主催:東京都/東京都写真美術館・アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)/日本経済新聞社 
会場:東京都写真美術館 1階ホール
入場料:無料/要入場整理券
定員: 190名(整理番号順入場/自由席)
出演:ブランデン W. ジョセフ(コロンビア大学教授、美術研究者)、平沢剛(明治学院大学研究員、映画研究者)、ジュリアン・ロス(ロッテルダム国際映画祭プログラマー、映画研究者) 
※当日10時より1階ホール受付で入場整理券を配布します。
詳細はこちらをご覧ください。
展覧会担当学芸員によるギャラリートーク
2017年8月25日(金) 16:00~  終了致しました
2017年9月8日(金) 16:00~  終了致しました
2017年9月22日(金) 16:00~  終了致しました
2017年10月13日(金) 16:00~  終了致しました
会期中の第2、第4金曜日16:00より担当学芸員による展示解説を行います。
展覧会チケット(当日消印)をご持参のうえ、地下1階展示室入口にお集まりください。

※最新情報につきましては美術館ホームページをご確認ください。
※事業はやむを得ない事情で変更することがございます。あらかじめご了承ください。

展覧会図録

エクスパンデッド・シネマ再考
テキスト執筆:平沢剛(明治学院大学研究員、映画研究者)、ジュリアン・ロス(ロッテルダム国際映画祭プログラマー、映画研究者)、田坂博子(当館学芸員)を掲載
編集・発行:東京都写真美術館、編集協力:grambooks、2,052円(税込)

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