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無垢と経験の写真 日本の新進作家 vol. 14
片山真理インタビュー
「無垢と経験の写真 日本の新進作家 vol. 14」展 出品作家の片山真理さんに、本展の開催にあわせてインタビューをおこないました。ご出産後の作品制作について、初めて本格的にお話された貴重な機会となりました。(2017年11月24日、太田市美術館・図書館にて)
新作のテーマに込められた思い
“ブロークンハート” と “おもちゃ”
Q: 今回の展示は、新作のセルフポートレートや布製のオブジェ、装飾が施された瓶やクッション、箱などを配置したインスタレーションとなっていました。展示全体を統一するコンセプトなどは設定されているのでしょうか?
片山: 言葉で説明するのはなかなか難しいのですが、二つのモチーフがとても重要な役割を担っていて、それが作品のテーマにもなっているんです。一つは “ブロークンハート” で、もう一つが “おもちゃ” です。
展示風景より
Q: “ブロークンハート” は、ネックレスのような布製のオブジェになっていましたし、展示スペースの壁にも直接描かれていましたね?
片山: 高校生の頃からよく描いてきたモチーフで、同じハート型でも壊れた“ブロークン”じゃないとダメなんです。艶々としている、もしくはツルツルした質感の可愛いハート型はなぜか苦手で、怖いとすら感じてしまう。
人間は歳をとるにつれ、脆くなっていきますよね。祖父は癌で亡くなったんですが、その時に骨がボロボロの状態だったのがすごくショックでした。それに、人は年齢を重ねると涙もろくなったりもする。ただ、人は脆い方が、さまざまなことを受け止めることができるという側面もあると思うんです。ハート型も割れている方がいろいろな角度の光を反射しやすくなりますし、多面的にものを映せるようにもなる。だから、実は割れている方が強いんじゃないかなと。
Q: 発想が独創的ですね!
片山: ずっと考えてきたことではあるんですが、この夏に娘が生まれたので、彼女のへのプレゼントのつもりで、初めて作品にしました。
展示風景より
Q: “ブロークンハート” のオブジェには、ウィンナーのような形の、指のモチーフがたくさんついていますね?
片山: なぜそうしたのか、最初は自分でもわからなくて、日記を読み返してみたんです。すると、妊娠中に思い悩んでいた時期があったんですね。私は先天性脛骨欠損症で生まれてきて、9歳の時に両足を切断しているんですが、もしかしたら娘も指や足に障害を持って生まれてきてしまうんじゃないかと、ものすごく不安だったんです。でも途中から肝がすわって、なくてもしょうがない、もしそうだとしても私が娘の指になろう、足になろうと思うようになりました。作っているときは無意識でしたが、後から思えば、娘のために指を集めなくちゃ、という気持ちだったんだなと、自分では解釈しているんです。
Q: では、もう一つのテーマ “おもちゃ” も、生まれてくる娘への贈り物という気持ちが込められているんですか?
片山: 親は子どもを自分のものであるかのように思いがちですけど、本当はまず子どもありきなんだと思ったんです。まず娘がいて、そして自分がいる。赤ちゃんにとって私は、手助けをする者であり、支配する対象です。娘は遊ぶ人、母である私は遊ばれる人とすれば、“おもちゃ” と並列の存在なんじゃないかと。
新作を制作する過程で、娘が遊んでいるおもちゃを背景にした写真を撮っていたんですが、部屋に飾っている人形やカメラ機材も写り込んでいて、後からそれを見ると、私が持っているものはぜんぶ、娘のための “おもちゃ” だなと思ったんです。
展示風景より(上下とも)
写真とセルフポートレート
Q: 今回は新作とあわせて、代表作である「ハイヒールプロジェクト」シリーズから写真作品を2点(「小さなハイヒールを履く私」「子供の足の私」)出展されています。こちらの作品では、空間やご自身に演出が施されていましたが、女性像や物語などを前もって設定してから撮影したのですか?
片山: 物語とまではいかないまでも、イメージしていたことはありました。「小さなハイヒールを履く私」では、写真の中で鏡に映る人物像の方によりリアリティを持たせようとか、大人になることを切望している子供の頃を想定していますし、「子供の足の私」ではサーカスの楽屋を念頭にして、熱望したハイヒールを履きながらも、歩けるわけでもなく、何かを夢を見ている子ども、という感じを出したくて、こういった演出にしたんです。
《小さなハイヒールを履く私》 2011年 発色現像方式印画 courtesy of rin art association
Q: その2点の作品にも主要なモチーフとして写っていますが、裁縫の手仕事で、足や手、体全体をかたどったオブジェは、自分自身を投影する対象としてつくられているのでしょうか? それとも欲するものを形にしているのでしょうか?
片山: 鏡に映る自分の姿のように、自己を投影する対象という感覚の方が強いですね。確認作業のために作っていたと言えるかもしれません。理想とか欲しいものというのではなく、現実や、自分が持っているもの、抱えているものを理解したいという気持ちがすごく強くて、そういう風に確認しないと先に進めないなって思っていたような気がします。
Q:「ハイヒールプロジェクト」は、東京藝術大学大学院の在学中に、修了制作として行ったんですよね?
片山: きっかけは、学費を稼ぐために働いていた夜のお店で、お客さんに「ハイヒールを履かないなんて女じゃない」と言われたことだったんです。それがとても悔しかったんですね。絶対にハイヒールを履いてやる!と決意して、それから義肢装具士さんに相談しながら、服飾にまつわる日本の福祉事情を調べ始めたんですよ。最初の頃は作品にするつもりは全くなかったんですが、指導教官にアドバイスをいただいて、アートプロジェクトへと発展させていきました。その過程で、記録として写真を撮っていたんですが、「ああ、写真は便利だから使うんだな、そこにあれば普通に撮るよね」という気持ちが芽生えて、自分を撮ることにも抵抗がなくなっていきました。
Q: そこから、どのようにセルフポートレートへとつながっていくのでしょうか?
片山: 手や足のオブジェは、単体であるよりも、身体につけて撮る方が断然生き生きして見えるんですが、妹や他の方にモデルになってもらってもしっくりこなくて、結局自分が身につけて撮るようになりました。だから、この頃の写真では、自分の身体はオブジェを見せるためのマネキンという意識で撮っているんです。
《on the way home #001》 2016年 発色現像方式印画 courtesy of rin art association
Q: 今回のインスタレーションでは、新作のセルフポートレート写真が大きな位置を占めていますね?
片山: 妊娠、出産を経験していく中で、体が変わっていくのを実感しました。まったく信じられないようなところに肉がついたりもしましたし(笑)、体が動かないなんていうこともありました。今まで以上に、自分の身体というものを意識する期間だったので、これをストレートに写真で撮りたいと思ったんです。今回撮影してみて、この手法は自分が表現したいものにはあっていると感じましたし、これからもずっと続けていくのではないかと思っています。
100年先にまで残るもの
Q: そのセルフポートレートでは、ご自身がまとったり、写真展示のバックに配したりと、布が印象的な役目を果たし、さらにオブジェも制作されています。この布は、オリジナルで作られたものなんですか?
片山: まず、16歳の頃から描きためてきたペインティングを、個展Mari Katayama「19872917」展で初めて展示したんです(rin art association 群馬県高崎市 2017年)が、今回使用した元になる生地は、そのペインティングをプリントしたものなんです。ファブリック・デザインの方にお願いして、左右対称の曼荼羅模様になるよう配置してもらい、布は全長で12m作ってもらいました。
さらに、その布をバックにして自分の体を被写体にした写真を撮り、それをまた布にプリントしています。また、オブジェでは元の布に、体が写った布をパッチワークにして縫い合わせています。
展示風景より
Q: たいへん複雑な制作工程を経ているんですね。さらに、その布のオブジェにはレースやビーズなどが施されていて、細かい手仕事が施されています。
片山: 私にしては珍しく、今回はかなり綺麗に縫っているんです(笑)。子どもを出産したタイミングで、この「無垢と経験の写真 日本の新進作家 vol. 14」に参加できたということが、意識を変える大きなきっかけになりました。 展覧会で展示するだけでなく、美術館に作品を収蔵していただくとなると、後から見ていただく時にもきちんとした状態でなければいけないという責任感を感じます。また、いずれ娘が育って、彼女が生まれた時に私が何をしていたのかを見てもらいたいと思うと、作品はずっと残るようなものにしないといけないとも自然に思えました。 だから、これからは、100年先にも残る作品を作っていきたいのです。それは物質的なこともありますが、その時に見てくださる人々とも共有できるテーマや問題意識を持って取り組んで行きたいと思っているんです。
(インタビューと文:富田秋子、展示風景撮影:藤澤卓也)
「無垢と経験の写真 日本の新進作家vol.14」展 詳細はこちら