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トピックス

左)《リフト》シルクスクリーン 2000年 東京都写真美術館蔵
右)《リフト》2000年より、制作スチル(参考図版)

フィオナ・タンの静謐で美しい映像作品の数々は、見る人の感覚や記憶、身体に多くを語りかけてくる。本展は、新旧の代表作を通じてフィオナ・タンが示してきた映像をめぐる美と知の体系に迫る本格的な個展であり、その創作活動に通底する美学や哲学を解き明かす絶好の機会。中国系インドネシア人の父とオーストラリア人の母のもと、インドネシアに生まれ、オーストラリアに育ち、ヨーロッパで学び、現在はオランダを拠点に世界中で制作・発表をしているフィオナに、当館の岡村恵子学芸員がお話をうかがった。

岡村)フィオナさんはどんな風に作品制作を進めるのでしょうか。

フィオナ)基本的には私の中にイメージ、アイデア、読書で得た知識や関心を持っていることが入った大きな引出しがあって、そこから作品が始まります。突然、思考の断片や物事の結びつきに気づくのです。最初は小さな種として始まり、それを植えて育つのを見守ります。長年作品を作っているうちに、自分の制作プロセスは必ずしも直線的ではなく、もっと有機的で、らせんや曲がりくねった道のような感じがします。旅であれ、水であれ、肖像であれ、レンズを通して作られるイメージについて考えることであれ、また写真をどのように解釈し、どんな意味を持たせるかについてであれ、同じテーマが作品の中で何度も反復されています。何かのテーマに再び出会う過程は、前とは違う旅だと思っていますし、それに対するアプローチも毎回異なります。

《リフト》フィルム&ヴィデオ・インスタレーション 2000年 東京都写真美術館蔵

岡村)出品作品では、新旧の異なる映像メディアが用いられていますね。メディアの選択や、技術についてのお考えをお聞かせください。

フィオナ)写真のプリントや映像の上映を目にすると、私はいつも「どんな風に感じるだろうか?」と自分に問いかけます。メディアに対して、身体的なアプローチをとっていると言えるかもしれません。私はセルロイドフィルムがまだあった時代に育ったので、フィルムが作り出す色や感覚はとても好きです。しかし、それは懐古的な意味ではありません。私のこども達は、その違いなど気にかけないということも充分理解できます。技術はとても重要ですが、だからこそ鑑賞者の目に入らない方が作品にとって望ましいと思います。
一方で、様々な技術的問題に直面することは、制作のペースを遅くします。これは多くの人が抱える困難ですが、私にとっては、それだけ作品のことを長く考え様々な角度から吟味することを可能にしてくれます。撮影、編集、展示という様々な段階でいろいろなことを試し実験します。特に編集はとても大事です。時間だけでなく、空間も彫刻していくような感覚になります。
最近では、どのカメラで撮影するかを決めるのに長いテスト期間を設けます。今回日本で初出品する《インヴェントリー》(2012年)では、その過程自体を作品にし、何で撮るかをあえて一つに決めないことにしました。そして、スーパー8、35ミリフィルム、ビデオなど異なる6つのメディアで同じ光景を撮影し6面の映像インスタレーションとして仕上げました。どのメディアが一番優れているかがわかるのではないかと思っていましたが、その過程でどれもそれぞれに良い映像が撮れるということを学びました。それぞれの美しさと欠点を持っているのです。この作品を発表してから、たとえ安いカメラで撮影してもいい映像が撮れると考えるようになりました。とはいえ見る人はメディアの違いを識別しないかもしれません。この作品が扱っているのは技術的なことだけではないので、それでもいいのです。

左右)《インヴェントリー》HD・ヴィデオ・インスタレーション 2012年 17分(※20分毎に上映)

岡村)映像インスタレーションは、ドラマやドキュメンタリーと違って抽象的です。楽しみ方の手掛かりは何でしょう?

フィオナ)どんな映像もなんらかの形で「翻訳」を行っていると言えるでしょう。むしろ「接近」という言葉の方が適切かもしれません。どんなメディアも現実を描くことは出来ません。何故ならメディアは、私達人間が受入れることのできる「現実」の再現に「接近」するためのツールでしかないからです。私達の脳や視覚を司る神経が、幅広いイメージからなんらかの意味を見出す機能を持っているということは興味深いことです。例えば、赤ちゃんや幼児はとても抽象度が高いイメージを理解することができます。彼らの脳は「見て、これがコップでこれがコップの絵だよ」と教えられなくても、そのことがわかる。人間の脳にはもともと抽象を理解する能力が備わっているのです。私は、物理的な意味でも抽象的な意味でも、インスタレーションを時間や空間の中にあるものとしてとらえています。インスタレーションは、ある場所、ある時に物理的に実在します。見る人がどれだけの時間を掛けて観るのか、スクリーンの前を横切るのか、ぐるっと廻るのか、じっくり座るのか、どのように作品を体験しようとするかを考えます。また作品の内容に迫るという行為自体も、同じように時間・空間と結びつけて語ることができます。作品を作るときと同様に、展覧会の構成を考える時も私はなるべく多くの提案をし、想像を巡らせます。だから見る方は自由に過ごしていただければよいのです。

左右)《ディスオリエント》 HDインスタレーション 2009年  17分/21分(ループ上映)

岡村)日本との関わり、その魅力についてお聞かせください。

フィオナ)日本で最初に作品を発表してから15年程経ちます。私は自分がどこで撮影するか、ということに対してあまり意識的ではありませんが、日本は、私にとってまだまだ魅力的な場所です。インドネシアに生まれ、中国人の血を一部引いている身としては、東南アジアには共通する価値観がありどこへ行っても居心地がいい。一方で、日本は自分にとって異質で新鮮な魅力が有ります。日本は私にとって知っているようで、知らない場所、比較的近いようで近くないような存在でもあります。物事がよく見えるという意味で、距離があることは良いことです。私がここで仕事をする上で、その距離が気に入っています。日本人のものの見方、そして人生への姿勢や哲学はとても興味深く思えます。それは西洋の文化を豊かにしてくれるものでもあると思います。
[2013年、金沢・大阪で行ったインタビューをもとに構成]

左)《プロヴィナンス》ディジタル・インスタレーション 2008年
右)《プロヴィナンス》2008年より、展示風景 Photo: Per Kristiansen

-------- インタビューを終えて

言葉をていねいに選び、自ら編集するように話すフィオナの印象には、物静かで柔軟でいながら芯がぶれない凛としたところがあります。美術における映像作品の地位を高く押し上げた功労者の一人ともいえるフィオナは、作品制作や展示に対しても、良く見て良く考えて、さまざまな要素をていねいに積み上げていきます。わかりやすさや奇抜さではなく、フィオナが世界に向けるまなざしの「美しさ」を体感してください。
(東京都写真美術館学芸員 岡村恵子)


図版はすべてCourtesy of the artist and Frith Street Gallery, London; Wako Works of Art, Tokyo