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シリーズ「Gleaning Lights」より The site  2005年

都市や海、木々のなかに浮かぶ光の点と線。佐藤時啓の「光-呼吸」シリーズは見る人を不思議な世界へと誘い込む。しかもこれらはすべて8×10の大判フィルムカメラで長時間シャッターを開け、作家自身が光を手に持って動くことで写し込まれたものだ。本展では、このほかに自作のピンホールカメラで撮影するなど、写真の原理への関心から生まれた代表作が並ぶ。「写る」ことの驚きに満ちた世界を追い続けてきた佐藤氏に、展覧会や作品についてお話をうかがった。

写真の原理にこだわる

佐藤さんの「光-呼吸」シリーズを見て、誰もが思うのが「どうやって撮ったんだろう?」ということだと思います。どのように撮影されているのでしょうか。

佐藤)夜、長時間シャッターを開けて、その間に僕自身がペンライトで光を発して、都市の部分を動き回って撮影しています。日中の撮影ではレンズにフィルターをつけてシャッターを開ける時間を長くし、海の中や木の周りを鏡を使って太陽光をカメラに向けています。

シリーズ「光−呼吸」より Shirakami#7 2008年

8×10という大判のフィルムカメラを使い、後から光を加えるなどの操作はしていないのですね。CGだと思う人もいるかもしれません。

佐藤)CGだと思った人からは「なぜ三角とか星形じゃないんですか?」と聞かれましたよ。そのときは「太陽が丸いからです」と答えていました(笑)。よく見てもらえばわかりますが、CGではない証拠に、丸い光のかたちがぜんぶ違うんですよね。鏡を持った僕の位置と、太陽からの光の角度で楕円になったりしています。

なるほど。最初は彫刻をやっていて、作品を記録するために写真を始めたとうかがっています。なぜ写真で作品を作るようになったのでしょうか。

佐藤)モノを作るのが好きだったので彫刻を始めたんですが、なぜ自分が作品を作るのかといったら、自分が生きているから。すごく単純なことなんですが、生きるための表現なわけですよね。そう考えたとき「生命」をテーマに作ろうと思い、生命の要素の一つとして「光」を彫刻で表現しようとしたんです。しかし、うまくいかなかった。ちょうどその当時、70年代後半から80年代にかけて、美術家が写真を使って作品を作るという動きがありました。もともと写真やカメラが好きでしたから、自分でも何かできないかと実験し始めたのがきっかけです。最初はドローイングの筆のようにペンライトを使ってみました。それがことのほかうまくいったのです。現像してネガに線が写っているのをみて感動しました。

ペンライトは佐藤さん自身が手にしてカメラの前を動き回る。でも長時間シャッターを開けているので佐藤さんの姿は消えてしまいます。光のゆらぎは光学的なゆらぎであると同時に、身体を動かすことによる生のゆらぎでもある。そのプロセスも重要ですね。

佐藤)初期の頃からタイトルの呼吸という言葉にこだわってきました。それはまさに生のゆらぎを表現したかったからですし、光そのものが写真に写ることの面白さに気が付いたからです。そして光によって写真がカメラの中でゆっくり生成していくことに参加していくような想像力や、また自身の身体が写らないことによって見えない世界にあらたな空間をつくるような喜びを感じていました。

シリーズ「光-呼吸」より #284 Dojunkai apartment 1996年

細部を見てほしい

「Gleaning Light」という作品では、レンズを使わず、針穴を空けて撮影するピンホールカメラを使われていますね。

佐藤)長時間露光から始めているので、ピンホールにも最初から興味がありました。「Gleaning Light」は「拾い集める光」という意味なんですが、最初に作ったのが、24個のピンホールカメラを球体にして360度撮影するというものでした。ほかには、8×10のフィルムを入れたピンホールカメラに穴を二つ空けて撮影した作品などがあります。同時にその頃、自動車で牽引できる「ワンダリングカメラ」というカメラ・オブスクラを自作して、全国あちこちに出没しています(笑)。

カメラ・オブスクラというのは真っ暗な部屋に針穴を空けると外の景色が倒立して映し出されるという現象を使った器機ですね。写真術が発明される前に画家たちが使っていましたが、「ワンダリングカメラ」は中に人が入れるほど大きいとか。

佐藤)ええ。「ワンダリングカメラ」ではロールサイズの印画紙を床にしいて撮影し終わったら、中に入って画像を直接見てもらいます。この十年くらいはプリントだけではなく、町での活動などいろいろなことをやっていたんですが、今回はせっかく写真美術館での個展なので、プリント作品をお見せしたいと思っています。ちょうどいま技術の転換期なので、大学での研究成果を生かした最新のやり方で全てニュープリントを制作する予定です。

左)シリーズ「Wandering Camera」より Kashiwazaki,2002.9.20.16:10-,28sec.,Clear 2002年
右)シリーズ「Wandering Camera2」より Musenyama#1 2013年

佐藤さんにとって写真で作品を作ることにはどんな魅力がありますか。

佐藤)彫刻でモノを作っていくと、付随していくものがどんどん増えていく。僕自身がやりすぎてしまうタイプなのでよけいにそうなんです。でも、写真はその過剰な部分をすぱっと切り落としてくれる。どんなに苦労しても残るのは表面がつるつるした一枚の紙。その潔さが気持ちいい。

切り落とされて残ったものから想像が広がりますね。たとえば、佐藤さんの作品には人間は写っていませんが、光一つひとつの痕跡はすべて佐藤さん自身の手によるもの。写っていないがたしかにそこに存在しています。「そこにいる、そこにいない」という今回の展覧会タイトルに結びつきますね。

佐藤)写真は光学原理によって正しく写ります。しかしそれは人間の見ることと必ずしも一致しない。私の写真に写っている風景には実は長い時間の多くの出来事があったのです。でも写っていないこと、見えないこと、その部分にこそ実は私の表現したいものがあるのかもしれません。

シリーズ「Polaroid Works」より Via Appia Antica(Roma) 1991年

どのようなことに気をつけて展示を見ていただきたいですか。

佐藤)僕の作品はプリントサイズが大きいので引いて見る方が多いと思うんですが、ぜひ寄って見てほしいですね。細部までじっくり近くで見てもらえるように、展示は部屋を区切って迷路みたいにしたいと思っています。

シリーズ「Gleaning Lights2」より Akarenga 2011年

(2014年2月 インタビュー 構成:タカザワケンジ)