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トピックス



左)《either portrait or landscape 1A》 2007年
©Maiko Haruki Courtesy of TARO NASU
右)シリーズ〈Diorama Map〉より
《Rio de Janeiro》 2011年3月-7月
©sohei nishino ※一部抜粋



あなたが見ているものは、隣で見ている人と果たして同じでしょうか。私たちは目に見えるものを安易に信じすぎてはいないでしょうか。

今年で10回目を迎える「日本の新進作家展」では、私たちの「見る」という行為そのものを再考するきっかけを与えてくれる作品をご紹介します。いずれの作家も一見、「これが写真だろうか」と思うような作品を制作しています。しかし、だからこそ私たちは受動的ではなく自発的に写真と出会い、自らに引き寄せて考えることができるのです。

添野和幸はフォトグラムという写真構造の中でも最もシンプルな技法を用いて、ビールの泡、ウィスキーと氷といった嗜好品、時には自分の人生を支えてくれる身近な存在を視覚化します。この作家は自身、生死の境をさまよったことがあり、そのせいもあって、刻々と変化していずれ消え去るものの存在を残すことをとりわけ大切に考えています。

西野壮平もまた、日々変化する都市を作品にしています。彼は自らの足で歩いた都市をその記憶と共にコラージュして、独自の地図を制作します。街中のさまざまな場所から撮られた写真には、その土地の歴史はもちろんのこと、その時その場を訪れた作家の経験や偶然の出来事など、さまざまな現実が数ヶ月もかけて再構築されます。

北野謙は人の存在に迫ります。ある場所で特定の人々を撮影したネガを多重露光で何重にも焼き込んだ、全体にぼんやりとした人物像を前にすると、私たちはその人たちの属性やそれらに対する「認識」と自ずと向き合うことになります。


では、私たちの認識や記憶というものは、どのように形成されるのでしょうか。佐野陽一のピンホールカメラでぼんやりと写し出される作品は、現実が視覚化されて私たちの記憶となる最初のイメージ、記憶の構造を思い起こさせます。光そのもの、色そのものが記憶の層をつくる瞬間の、しかし、ぼんやりした視覚です。

そして、春木麻衣子は見ること自体を問題にします。じっくり目を凝らさないと細部が見えない暗がりの作品や、逆に溢れる光の中でようやく見えてくる街並みや人の影と対すると、私たちが日常あたりまえのように「見えている」と思っている、その行為自体を問われているようです。

いずれの作品も写真の根源的な手法や特性―光、時間、記憶、記録など―に立ち戻りながら新たな写真の可能性を探っています。そして何よりも、作品を見る私たちのありようを問いかけているのです。これらの作品を契機に、私たちが受け身になることなく写真と対し、自らの記憶や認識を日々再考してゆくことができれば、写真というメディアは新たな飛躍の時を迎えられるのではないでしょうか。

添野 和幸(そえの かずゆき)

1968年神奈川県生まれ。1991年東京造形大学造形学部卒業後、92年同研究生修了。2002年「コニカフォトプレミオ 24人の新しい写真家登場」に選出。2005年資生堂第12回ADSP授与。2008年フォト・ギャラリー・インターナショナル等の個展では昆虫の翅を引き伸ばし機に仕掛けて制作する作品を発表。「第5回造形現代芸術家展 Transmutation」(東京造形大学付属美術館)等グループ展多数。


《AW 01》(ビールの泡) 2004年
中)《WI 02》(ウィスキーオンザロック) 2004年
《WI 07》(ウィスキーオンザロック) 2004年

水は様々に変化する。雨に川に海に、雪に氷に、そして酒や鏡にもなる。光を捉える可能性を秘めている。
晩酌で眺めるビール。ウィスキーに浮かぶ氷は美しい。光に翳すと更に美しい。
硝子器にその液体を注ぎ、引伸機の中へ、そっと入れてみる。
平面と捉えられるフィルム。そのミリ単位の厚みは液体へ置き換えられ、焦点により様々な表情を見せる。
時間の経過と共に、泡が弾け、氷が溶け、硝子に滴が付く。
引伸機の中に「時間、生、死」を内在する世界が現れる。

西野 壮平(にしの そうへい)

1982年兵庫県生まれ キヤノン写真新世紀 優秀賞(南條史生/現森美術館館長)受賞。2011年個展(Michael Hoppen Gallery)、10年テグ写真ビエンナーレ(韓国)、12年 Helsinki Photography Festival(オランダ・予定)等出展。


シリーズ〈Diorama Map〉より
《Rio de Janeiro》  2011年3月-7月
©sohei nishino ※図版左は部分

数千枚の写真のピースを、巨大なキャンバスの上にその一枚一枚を地図に即して張り合わし、街を再構築していく。
そこに現れるのは、決して正確な地図ではなく、あくまで旅の視点で見た私自身の"記憶"そのものである。
学生の頃に歩いた四国のお遍路道が写真を始めるきっかけとなり現在に至るまでそれを継続しているということを、改めて感じます。
歩のない将棋は負け将棋と言いますが、歩くという行為の中で気づかされる様々な発見を、私は生涯かけて取り組んでいきたいと思います。

北野 謙(きたの けん)

1968年 東京都生まれ、91年 日本大学生産工学部卒業。93年 個展「溶游する都市」(I.C.A.C.ウエストンギャラリー)、96年 「ヤングポートフォリオ展」(清里フォトアートミュージアム) 等。2006年 個展「our face」(フォト・ギャラリー・インターナショナル)、グループ展「写真の現在」展(東京国立近代美術館)、10年個展「our face」(北京市三影堂撮影芸術中心)。 2007年 日本写真協会新人賞受賞、11年第14回岡本太郎現代芸術賞特別賞受賞等。


〈our face 〉より
《アニメのコスプレの少女たち34人を重ねた肖像/台北のストリートで》
2009年(2010年プリント) ©Ken Kitano

〈存在について考えること〉が僕の仕事だと思っています。世界各地を訪ね撮影した、たくさんの肖像を1枚の印画紙に一人ずつ重ねて焼き付ける肖像写真を制作しています。〈見知らぬ他者をイメージすること〉は写真に備わった本質的な機能で力です。肖像は等身大が望ましい。今では日本で制作が難しいラージサイズの銀塩プリントを昨年中国で制作しました。142×178cmの印画紙に数百プロセスにもなるプリント作業です。たくさんの存在が集積したイメージをじっくり見てください。

佐野 陽一(さの よういち)

1970年東京都生まれ。1994年東京造形大学造形学部卒業。1996年同研究生修了。2004-05年文化庁新進芸術家国内研修員。「世界を知覚する手がかりとしての写真」をテーマに作品を展開する。アユミギャラリー、ツァイト・フォト・サロン、switch point等で個展開催。「VOCA展2004」上野の森美術館、他グループ展多数。現在、東京藝術大学美術学部先端芸術表現科非常勤講師。


《flow》(水面、木の反映) 2010-11年 ©yoichi sano

自作を一言で表すとしたら、写真に内在するモチーフを純粋な手法でいかに豊かなイメージをつくることが出来るのか、となるでしょうか。光の現象によって成り立つ写真をピンホールの原理を頼りに、様々な局面を印象のまま止めようとすること。そこに興味を向けさせるのは、写真表現そのものであるのかも知れません。覚束無いことばかりでも、さびれた駅の案内図で見つけた目的地で、偶然に身を任せて写したイメージが抗いようもなく美しいと感じることが確かにあるのです。

春木 麻衣子(はるき まいこ)

1974年、茨城県生まれ。玉川大学在学中(95-96年)よりUniversity of Londonに交換留学。主な個展は2004年「雨」、05年「yell」(TARO NASU、東京)、06年「●○」(NADiff、東京)、2010年「Possibility in portraiture」(TARO NASU、東京)等。グループ展は06年「VOCA展2006」(上野の森美術館、東京)、「On Recent Landscape」(PHotoEspana06)等。07年「六本木クロッシング2007:未来への脈動」展で特別賞受賞。


《either portrait or landscape 1A》 2007年
©Maiko Haruki Courtesy of TARO NASU

あたりまえだけれども、「想像」は作家の専売特許じゃあない。
観者も「想像」するからこそ、写真とか作品が生きるのだと信じています。
観ることと撮ることに自由にまつわる絶妙!で魅了的!!な想像を写真にしたい。
そして、それが日常をほんのすこしでもドキドキさせるシカケになれば嬉しいです。