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和歌山県立近代美術館
「トランスボーダー 和歌山とアメリカをめぐる移民と美術」展【 2023年9月30日()~2023年11月30日() 】

〇鑑賞できる作品
宮武 東洋《鉄条網の彼方の自由に思いを馳せる3人の少年。見張り塔が後ろに見える。少年たちは左から、ノリト・タカモト、マサイチ・イマムラ、ヒサシ・サンスイ。》〈マンザナー収容所〉より1942~45年
宮武 東洋《夕焼けの中、三輪車に乗って遊ぶ宮武東洋の子供ふたり。》〈マンザナー収容所〉より1942~45年
宮武 東洋《早朝撮影したずらっと並んだバラック小屋。》〈マンザナー収容所〉より1942~45年
宮武 東洋《収容所入口の看板。マンザナー戦時転住所。》〈マンザナー収容所〉より1942~45年
宮武 東洋《バトントワラーになるのを夢見て練習する子供たち。収容所の中であっても出来るかぎり、こどもたちには普通の生活をおくらせる配慮がなされた。》〈マンザナー収容所〉より1942~45年
宮武 東洋《収容所用地を囲む境界線の看板の前に立つ保全班。かれらの仕事は境界線周辺の整備と柵や建物の修理であった。》〈マンザナー収容所〉より1942~45年
宮武 東洋《収容所の生活は楽ではなかった。美容院で髪を洗ってもらうことは、女性にとってよい気分転換だった。洗髪は1ドル、パーマは2ドル、美容院の月給は16~19ドル》〈マンザナー収容所〉より1942~45年
宮武 東洋《マンザナーコープ(共同事業)社の共同事業のひとつに魚屋があった。アメリカ政府支給の魚は日本人の口に合わず、開戦まで 業に従事していたイツ・ヤマモト氏》〈マンザナー収容所〉より1942~45年
宮武 東洋《食事運搬班》〈マンザナー収容所〉より1942~45年
宮武 東洋《小学生》〈マンザナー収容所〉より1942~45年
宮武 東洋《(新生活相談所)》〈マンザナー収容所〉より1942~45年

河野 浅八《永久機関 #1》1920-30s
河野 浅八《池の幻想》1931年
河野 浅八《快楽》1929年

和歌山県立近代美術館
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