本展をご覧になった方々からメッセージをいただきました。
ご協力いただいたみなさまに感謝申し上げます。
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飯沢耕太郎
写真評論家
須田一政さんの、日常の中に非日常の気配をかぎ当てるアンテナの精度は、他の追随を許さないものがある。近作になるにつれて、それはさらに研ぎ澄まされ、いまや幽明の境を自在に往還する境地に達しつつあるように感じる。
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山下裕二
美術史家、明治学院大学教授
須田一政初期の写真集に、「紅い花」というタイトルがつけられていることに瞠目した。私が敬愛するマンガ家・つげ義春の作品からの引用だ。1968年から75年に撮られたものを、2000年に写真集にまとめる際に、編集者がつけたタイトルだという。何気ない光景であるがゆえに、かえってこの時代の空気をダイレクトに伝える写真は、たしかにつげ義春の世界と通底するように感じた。
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鈴木理策
写真家
須田一政の写真には日常的光景が放つ色気が写されている。粋な眼をもっていなければ、こうは撮れない。遊びを知っている人の艶が作品にも表れているのだと思う。
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ダン・アビー
Dan Abbe写真研究家
いま、写真は感覚的になっている。須田一政の写真もその光の手応えから「感覚的」と受け取られるかもしれない。しかし、須田の写真が私たちに与えているのは単なる光の感覚ではなく、「光」そのものなのだ
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南後由和
社会学者、明治大学講師
近くて遠い、遠くて近い日常。須田一政の写真を見ると、若手写真家のスナップの何が新しくて、何が新しくないかがよくわかる。
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藤野可織
作家
須田一政の写真を見ると「これは真実ではない」と強く思う。けれど、どう見てもこれらの写真はやはり写真らしく事実だけで成り立っている。私は世の中のことをまだまったく知らないのだ、という気にさせられる。
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花代
写真家、アーティスト
半世紀に渡る彼の眼差しは私には一貫して見えました。自身も今のカメラを使い始めて30年になろうとしていますが、子供のときに撮っていた物からそんなに変わっていない気がしていて、勝手に妄想で須田さんに『いいんだよ それで』って肯定された気がしました。私もあと20年経ったらその頃撮っていた箱を開いてみようかな。
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永瀬沙世
写真家
恐山の写真は乾いた風がどどどどって強く吹いているような、ちょっとおどろおどろし美しい。
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藤沢学
講談社モーニング編集部
須田さんって古葉監督やら森永のエンゼルなのかなと。じっと、ちゃんと、そこにいるというか。漂泊の芸能者の姿が、須田さんのムコウにしかと視えます。
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金子隆一
写真史家
須田さんの写真は、こどもの頃の夢がいまだにドキドキするような感覚。6×6の作品はミクロコスモス(小宇宙)の世界。35mmの作品は現実のひろがり。最初期から近作まで出品されていて、スリリングな須田ワールドを堪能できました。