エキソニモとインターネットアートとアートの前衛 by 田坂博子

インターネットは1960年代にアメリカ国防総省が開発したARPANETというデータ通信が起源とされ、現在では、不特定多数の人々が複数のコンピュータネットワークを相互に接続することを可能にした地球規模の情報通信網として一般化された (注1) 。インターネットの普及率は、世界人口76億人に対し46.5億人で59.6%に上ると言われている(注2)。日本でインターネットが一般化し始める1996年の3.3%の普及率は、2019年には個人レベルで89.8%となり、その多くがパソコンからスマートフォンでの利用へ移行し、今や大多数の人々がインターネットを利用している状況にある(注3)。そして、2020年の新型コロナウィルスの感染拡大が世界中に広がるなかで、インターネットを介したコミュニケーションが、これまで以上に活発化され重要な役割を担うようになってきた。

このようなインターネットの普及とは対照的に、「インターネットアート」はあまり馴染みのある言葉ではないかもしれない。勿論、ここ数年間でコンピュータ技術の進化とともに芸術文化も多様化している。むしろ現在はアートとエンターテインメント、ゲームの境界線が見分けられないくらい、オンラインが社会の中に浸透し、アートの商用化が進んだと言っても過言ではない。VR(仮想現実)、AR(拡張現実)やオンライン上のゲームを始め、デジタル技術を用いた体験は、消費者のための商品として人々の日常に浸透し、美術館やギャラリーでも、高解像度の映像作品や最新のテクノロジーを用いたメディアアートを紹介する機会が増えてきている。
とりわけ、日本では2001年に公布された文化芸術振興基本法でメディア芸術が位置づけられ(注4)、メディアアートに対する認知も高まり、アーティストによる最先端技術を用いた芸術表現が多く発表されてきた。これに対して、90年代に登場した「インターネットアート」は、芸術ジャンルというよりは、芸術活動のムーヴメントに近く、インターネットというメディアを考えることで、技術や社会の構造を露わにするような批評性を特徴としていた。
本展で紹介するエキソニモは、日本でWindows95が発売され、パーソナルコンピュータが個人に普及されることでインターネットが一般化され始めた1996年に活動を開始し、今日にいたるまで、さまざまな方法で多数の作品やプロジェクトを発表してきた。本展では、エキソニモの24年間の活動を紹介する個展を準備するなかで、作家の提案から展覧会内容を大きく方向転換し、改めて「インターネットアート」の可能性を再考する試みを行うことになった。これは感染症の世界的大流行(パンデミック)に直面したことによって、彼らにとって、「インターネットアート」の重要性が再浮上したことが大きな要因となっている。同時に、彼らの多岐にわたる活動の特徴も、まさにインターネットの誕生と不可分に結びつき、時代の空気のなかで生み出されたものであり、エキソニモの活動の魅力を理解する上でも適切な方法になるだろう。

かつてポータブルのヴィデオカメラが、テレビの大衆文化に対抗するオルタナティヴ・メディアとして、個人によるDIYの文化に影響力を与え、ヴィデオアートの表現が生み出されていった。その時以上に、90年代に登場したインターネットは、オープンソースやフリーソフトウェアという考え方に代表される、個人が相互にリンクし合い物理的な距離を超えたネットワークを形成するインディペンデントな存在として、新しい可能性に満ちたメディアだった。
しかしソーシャルメディア自体が、世論を形成する重要な要素となってしまった現在の社会は、むしろ、個人のためのネットワークよりも、企業や国家等集団の意向と連動した文字通りマス(集団)のためのメディアを優先するように変容してしまったようにも見える。
本展のタイトル「UN–DEAD-LINK アン・デッド・リンク」には、インターネット上で「DEAD-LINKデッド・リンク」となってしまった作品に再接続することで、初期のエキソニモの「インターネットアート」の作品を再考する意味が込められている。そこにはエキソニモがパンデミックの体験の中で、「インターネットアート」の開かれた雰囲気を思い出し、その重要性を再確認したことにも起因する。そして、美術館の物理的な展示会場とオンライン上の会場を連動させ、共存させることは、オンライン時代の新たな美術館の展示のあり方への挑戦にもなっている。

では改めて「インターネットアート」とはどういうものだったのだろうか。
1999年に2人組のアーティスト・ユニットJodiが発表したインターネットの地図「http://map.jodi.org/」には、当時のインターネットアートの相関図が示されている。情報の通信網であるインターネットを、視覚的記号のように図式化したこの地図には、IPアドレスらしき数字(実際のアドレスかどうかは不明)のリンクとともに、彼らの身近なアーティストたちの名前に加えネットアクティヴィストの名前が連なり、そこにはエキソニモの名前も記載されている。ここで顕著なのは、アーティストの個人名ではなく、匿名性のあるニックネームのような活動名のなかで、インターネットアートのネットワークが形成されていたことであり、その意味でこの地図は、当時のインターネットアートの状況を率直に伝える象徴的な証拠にもなっている。そして実際同時期には、ロシア人のアーティスト、アレクセイ・シュルギンが「net.art」(ネットアート)という言葉を使い、インターネット自体の普及とともに、ネットアート黎明期と呼ばれるアーティストたちの活動が一つのムーヴメントとして注目を浴び始めていくことになる。
ネットアート黎明期の代表的アーティストであるJodiやUbermorgenが、「net.art」を20世紀最後の前衛運動と語るように(注5)、「net.art」は20世紀初期のダダや構成主義、そして続くフルクサスのような国際的な前衛運動のような広がりを見せつつ、既存の芸術とは距離を持ちながら、欧米を中心に大きな盛り上がりを持って伝播していった。彼らの多くが目標にしていたのは、アートというよりは、パンクやテクノといったオルタナティヴな文化であり(注6)、「ノー・コンテンツ」「ノー・ストーリー」を主題としたJodiの作品が、美学的にも実用的にもエラーを含んだ要素を特徴にハッカー文化に根ざした方法論から生み出されたように、彼らのインターネットを使った表現は、批評的で、ラディカルさを持った活動だった。しかし「net.art」の隆盛は、具体的には94年から99年の期間がピークで、2000年頃には、「net.artは死んだ」という言葉も語られ、瞬く間に収束してしまう(注7)

一方エキソニモは、インターネットがようやく人々の中で浸透し始めた頃に結成され活動を開始した。学生中に旅先でインターネットの関連会社の人と出会い、アルバイトを始めたことで、インターネットを体験した千房けん輔と赤岩やえは、上記の「net.art」のアーティストたちが何らかの形で欧米のモダニズムに対する抵抗感や反骨精神を持っていたのとは異なり、一見突然変異のように「インターネットアート」のムーヴメントの潮流へと加わったように見える。エキソニモというアーティスト名の由来が、赤岩の口から偶然発話された新しい言葉だったこともその無作為性を象徴している。ただその無作為な偶然性こそが、当時の「インターネットアート」が持っていた自由さと革新性でもあり、ある種必然的にエキソニモの出発点と結びついていったのではないだろうか。
「インターネットを使ってできる新しい何かがありそうだというので、何だかわからない、最初の時点では作品とも思わない、何か遊び場みたいなものを作る感覚で」(注8)始まったエキソニモの活動が、常に一貫しているのは、「作品を作るというよりは場を作る」という言葉にも集約されている。そして、当時の「インターネットアート」が内包していた、個々人の開かれたネットワークの可能性をエキソニモは自分たちの活動の中で実践的に展開していく。
インターネットで初めて制作したインタラクティヴな作品《KAO》(1996)は、ウェブ上で福笑いのように顔のパーツを作って送るとネット上でそれぞれの顔のパーツを引き継いだ子供の顔が生まれていく。美大時代に芸術家によるゼロからの創造行為に距離感を持っていたなかで(注9)、双方向に産み出すことが破壊的な行為にもなる本作には、作家主義的な発想だけではない、エキソニモの一貫した、批評性と境界横断的な問題意識が垣間見られる。
また、マウスを破壊するときのカーソルの動きを記録し、デスクトップ上で再現する代表作《断末魔ウス》(2007)は、インターネット上の問題を現実空間で言語化する、いわばマウスとカーソル(矢印)のドキュメンタリーと言っても良いだろう。誰にとっても身近な存在となったマウスやカーソルがモチーフとなる、その方法論は対象物の違いはあれ、大衆文化の日常的なイメージを用いたポップアートの手法ともつながりながら、メディア独自の不可視の事項を翻訳することで、ネットとリアルの世界を横断的に結び付けていくダイナミズムを生み出した。

エキソニモという意味をもたない名前の誕生から、インターネットや大型インスタレーションと表現の媒体を変えながらも、エキソニモの活動は、言葉、メディア、物質をユーモアと批評性をもって結び付けていくことで親近性と驚きをもたらし続けている。
本展ではエキソニモの20作品が年代的な時間軸で配置されながらも、各作品同士がエキソニモによる5つのキーワード「Internetインターネット」「Platformプラットフォーム」「Interfaceインターフェース」「Randomランダム」「Boundary境界」で、上記に紹介したJodiのインターネットの地図と同様、網の目のように相互に結び付いている。  
 同時にオンライン会場では、エキソニモの活動を出発点とした年表がより多岐にわたるキーワードと関係づけられていく。いわば展覧会(美術館とオンライン)をつくる行為自体も作品の創造行為と同等の意味をもつ場づくりになるのである。そしてこのように作品をつくるという範疇で収まらないエキソニモの活動は、結果的には「インターネットアート」の黎明期のアーティストたちが語っていた20世紀最後の前衛のレガシーをインディペンデントに、実践的に継続しているのかもしれない。そして同時に、このようなエキソニモの脱領域的活動を紹介することが、芸術作品の体験を考える上でも、またどのように「生きたアーカイヴ」を保存していくかという意味でも、新たな美術館の在り方を考える契機となっていくだろう。

田坂博子(東京都写真美術館学芸員)


  1. アンドリュー・S・タネンバウム、デイビッド・S・ウエザロール『コンピュータネットワーク 第5版』(水野忠則、相田仁、東野輝夫、太田賢、西垣正勝、渡辺尚訳)日経BP、2013年、pp.67-68
  2. 不破雷蔵「個人ベースでは89.8%…インターネットの普及率の推移をさぐる(2020年公開版)」『Yahoo! JAPANニュース』2020年7月4日
    https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20200704-00185443
  3. 経済産業省 商務情報政策局 情報経済課「3.2 インターネット利用動向」『令和元年度 内外一体の経済成長戦略構築にかかる 国際経済調査事業 (電子商取引に関する市場調査)報告書』、令和 2 年 7 月、p.25
    https://www.meti.go.jp/press/2020/07/20200722003/20200722003-1.pdf
  4. 「第九条 国は、映画、漫画、アニメーション及びコンピュータその他の電子機器等を利用した芸術(以下「メディア芸術」という。)の振興を図るため,メディア芸術の製作,上映等への支援その他の必要な施策を講ずるものとする。」文化芸術振興基本法 第三章文化芸術の振興に関する基本的施策より
    https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/shokan_horei/kihon/geijutsu_shinko/kihonho.html
  5. Domenico Quaranta, “NET.ART The First Life of Net Art: UBERMORGEN, JODI, Vuk Cosic, Olia Lialina,” SPIKE, 2016
    https://www.spikeartmagazine.com/articles/netart
  6. 同上
  7. Maximilíano Durón, “A Net Art Pioneer Evolves With the Digital Age: Rhizome Turns 20,” ARTnews, September 1 2016
    https://www.artnews.com/art-news/news/a-net-art-pioneer-evolves-with-the-digital-age-rhizome-turns-20-6884/
  8. エキソニモへのインタヴュー
  9. エキソニモへのインタヴュー